先程のブログの多少の補填 苦情クレーム
先程のブログの多少の補填から始めれば
でたらめの肯定 規則 法 の肯定→でたらめの否定 で
ただ 表層 有効スケール ででたらめを 選択 肯定 することは
自分の 構築 オルガナイズ を全否定することで
それは自分の 判断基準 自己信用 を失なう ということで
それが快楽を肯定している という判断で
それだと ただ物性物理を肯定するでたらめ
に集約されて と同化して
それは 地獄行きの人間の世界観と同じ ということで
内容の最大機能のための完全の成立 とは
規則 法 の肯定 という
→選民思想の善悪 法の中の不可逆事項の絶対の遵守 の肯定
のことで
により 猜疑心 言外 複雑化 が恒常で考えられた
人間性 サーキット が構成されて
内容の違いが理解できて によりスコアも違う ということが
成立 構成 されて
そして 選民思想の善悪
法の中の不可逆事項の絶対の遵守 の肯定 が理解できていれば
少しのミスも侵さないことが構成されて
これは 究極 絶対 のレベルにおいて本当に絶対で
これがわかっている人間は天国 わからない人間は地獄
で構成される
内容は変わって
この レベル クオリティ で ボキャブラリー フレーズ を考えれば
うざい 一皮むける 見切り 堅苦しくていけない 食べかす
ついに大銀杏を切り落としたぞ などは
標準的では全くない でたらめの肯定 だけを意味して
このレベルのボキャブラリーに傾倒している人間は即断できて
人物 評定 審査 ができて
さらにこのレベルから大きく難易を落としている
約束 仲直り その代わり 言い訳 喧嘩 のレベルの
はさみ虫の人相の人間にイメージされる 知的レベル 人間性 は
この 学習障害者 人類のぶら下がり 何で放置している
にしかならないことが理解されて
この手の内容のときもインターナショナルででてきて
やたらと 理解レベルの低下 内容の劣化 だけを構成して
もう完全に能力の限界にきていて
人間性 能力 ともに完全に 生まれてきたのが間違い で
世界的に 普通に人権を与える 役職をつけさせる スポーツさせる
異常さから多大な支障を有形無形できたさせているのが理解されて
この人間いたんじゃ 哲学 宗教 が 育たなくなる 劣化する
ハイテク PC の時代のリスクを考えれば激化する と理解されて
そう意味での危機感からのギリシャの残存
ギリシャの残存程度の世界レベル ということが理解される
近況
次のブログは随時~4日後の予定です