アレルギーのロジックとクリア   KONDO YUJI | qantasqwert00x0yz0のブログ

qantasqwert00x0yz0のブログ

ブログの説明を入力します。

アレルギーのロジックとクリア


人それぞれにアレルギーがあるかもしれない

アレルギーの対象を本当に 見たくない 触りたくない

害虫とか汚れる物とかが対象だと思う


善悪とは全体の内で成立するが

アレルギーとは それだけの 部分の

不条理が成立するか という命題で成立する

アレルギーの対象に対して不条理が集約されて

不条理のメタファとしてアレルギーの対象が存在している

不条理に触った 一番嫌いな という内容が構成される


一番嫌いな不条理とはパーパスの嫌な人間の最大効果の

内容で構成されて想像がつくものである

勧善懲悪ではない 自分が背信された 不条理の

自分が一番見たくないゴシックで構成される


聖なる内容が 汚される 汚れる とかそういう感じの

内容で構成されると思う

勧善懲悪の人間からすればこういうプライベートな内容の

善のクリアは 自分の定冠詞 センサー に影響を与える


結局アレルギーとはただの時間の無駄に帰結する

知覚事実の印象のダメージに対する

自分の内的な構築の論証の修復の時間が

いたずらに費やされるからである


アレルギーのロジックがクリアされた後には

自分の自由選択があるということである

時間の無駄なのでアレルギーの対象には

相変わらず 見たくない 触りたくない と思う


ということでアレルギーの対象は
不条理のメタファとして成立しているので

本当にその対象が嫌いとかいうことではない


本来アレルギーの対象に対して

なんでアレルギーだろう という

ナンセンスなイメージも成立しているはずである


なんでそのアレルギーの対象が不条理のメタファかは

自意識のノルマから見た最大効果といったところだろう


アレルギーとは概念上で成立するプライベートな内容で

動物にはなく人間固有である




近況


タルコフスキーのノスタルジアの動画を見ました