よくみたら前回は2023年の投稿なのでめちゃくちゃ間が開いてますが
まぁ歴史を考えれば2年なんて誤差ってこと細かいことは気にしない方向で( *・ω・)
さて、中島みゆきの"ローリング"についてつらつらと書き連ねようと思います。
こちらはYouTubeの検索リンクです。
"ローリング"は1988のアルバム"中島みゆき"のアルバム曲で
1993発売の"時代-Time goes around-"にもリメイクされて収録されています。
私が最初に聴いたのは"時代-Time goes around-"で
"中島みゆき"の方は後から知りました。
"中島みゆき"ではキーボードのイントロが、
"時代-Time goes around-" ではサックスのイントロが印象深いです。
"中島みゆき"は寄り添うような見守るような優しさが、
"時代-Time goes around-"の方が哀愁と力強さを感じます(個人的にね!)。
さぁ歌詞を見てみましょう
工事ランプの凍る路地をたどって
探しあぐねたたむろできる場所を
昨夜騒いだ店は客を忘れて
一見相手の洒落た挨拶を配る
*サビ
Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ
Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる
黒白フィルムは燃えるスクラムの街
足並揃えた幻たちの場面
それを宝にするにはあまり遅く生まれて
夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた
*サビ
9桁の数字を組み替えて並べ直す
淋しさの数と同じイタズラ電話
ボックスを叩く街の風が冷たい
どうしても1つだけ押せない組がある
*サビ
まずは人物像を想像してみましょう。
人物像のヒントになるのはサビがメインだと思います。
サビの部分で「淋しさを人に言うな」、「軽く傷ついていけ」、「笑いながら」。
それ以外だと1番。
1番は現在を描いていますが、
その「今」ということに対して斜に構えたような見方をしているように見えます。
2番は過去に対する思いで、
「過去」に対してはどこかリスペクトすら感じます。
3番は戻って「今」ですが、
その「今」で「僕」が行動しているところです。
何よりも気になるワードの1つは「イタズラ電話」ですよね。
このイタ電が私にとっては何よりも違和感があるのです。
イタ電というものは「構ってほしい」といった
どちらかというと人間の弱さからくる行為なのではないか?
というのが私の中にはあります。
そんな弱さをこの「僕」がするのだろうか?
「淋しさを人に言うな」と思っている「僕」が?
ましてや「今」に対して少なからず良くは思ってない「僕」が、です。
「迷惑行為」としてのイタ電も当然あります。
「笑いながら」「傷ついていけ」と思ってる「僕」が…?
この「僕」の人物像からはそんなイタ電は想像できないんですよね。
むしろ一番遠いところにすらいる気がする。
電話ボックスをご存知の方はわかると思いますが当時は電話帳の時代です。
インターネットもまだ普及する前で、
Google Mapどころか Google が生まれる前です。
インターネットが普及しだしたのは
Windows 95(1995年) 以降の話で…ってインターネットはいいでしょう。
Google は 1997年にベースができて、1998年から Google と名前を変えて…
ってまぁそれも置いときましょう。
そして"電話帳"とは電話ボックスに広辞苑サイズの…
もしかして広辞苑もわからない人も今はいるのだろうか…
2、3 Kg くらいのでっかい本です。
表紙が黄色でタウンページなどと呼ばれ…
はい、そんな大きな本です。
それか手帳ですね。
当時の会社員の方は必ず持ってたのかな?
手帳に電話番号を昔はメモっていたんですよね。
まぁポイントはリアルタイムで更新されない、という点です。
タウンページは当然NTTが刷新するまで更新されないし、
そんな大判の本を頻繁に更新するはずも…
あれ?あれってどれくらい更新されてたんだろ…?
年一回みたいです。調べてきました。
インターネットって便利!
手帳に至っては番号が変わったことを自覚して、
自分で直さないと当然更新されようがないです。
1988年はそういう時代だったんです。
ここで1番を見直してみましょう。
工事ランプの凍る路地をたどって
探しあぐねたたむろできる場所を
昨夜騒いだ店は客を忘れて
一見相手の洒落た挨拶を配る
探しあぐねた場所についたら知らない店に変わっていた、
というニュアンスが伝わってきますね。
これが手帳を元にしたのかタウンページを切り抜いて(当時はですね、タウンページは破いて持っていかれたりしてたんですよ。なので「あああ…いい…う…う…う…ない!ページが破かれてる!」なんてこともあってですね…)はたしてどちらなのかはわからないですが、
当てにしていた情報を元に向かったお店が変わっていた、ということがわかります。
さて、ここで考えてみましょう。
歩いて向かったお店が変わっていたらどうするか?
次のお店に歩いていくか、電話してみるかじゃないですかね?
なんせインターネットもGoogleもないんです。
自分で確かめるしかない…嗚呼、なんて不便なんだ!
9桁の数字を組み替えて並べ直す
淋しさの数と同じイタズラ電話
さてまたちょっと脱線してしまうのですが、「9桁の数字」。
実はこれ、個人的に気になるんですよ。
11桁じゃないとかじゃなく、ですね。
市外局番って確かタウンページだとなかったような…?
もう1点、自分の知ってる地域のお店って市外局番書かないんですよ。
もちろん書く人もいた…のかなぁ…
手帳世代じゃないからそこまで細かくはわからない…
そしてこれはまた別の曲なんですが爆風スランプの「週間東京「少女A」」(カッコがややこしい!)という歌がありまして、
とんでもないわ教えられないわ10桁もあるテレフォンナンバー
という歌詞なんですが、
10桁は東京・大阪(都会)じゃないという認識だったんですよね。
ちなみに「週間東京「少女A」」は1984年の歌です。
実はローリングより4歳年上!
とまぁそれはおいといて、
「9桁」ってだいたいが東京か大阪なんですよね。
これは歌詞から読み取ったところからの推測になりますが、
この「僕」は東京・大阪以外からどちらかに来たんじゃないか(たぶん東京)。
そしてその電話番号や住所はおそらく手帳を当てにして、
(描写はないが)その手帳は先輩か誰かから譲り受けたものなんじゃないでしょうか。
黒白フィルムは燃えるスクラムの街
足並揃えた幻たちの場面
それを宝にするにはあまり遅く生まれて
夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた
これまた直接的な描写はないですが譲り受けたというのは
この3番から推測してます。
「黒白フィルム」をどこかからか入手してるんですよ。
よく映画とかでありますよね。
手帳を開くと写真が…みたいな。
あれってお決まりだったのか…手帳世代じゃないのでわからないですが、
映画であるくらいなので割とあったことなんじゃないでしょうか。
「あまり遅く生まれて」ということは
直接受け継いだわけじゃないかもしれないですね。
何かしら人づてなのか部屋を掃除してなのか…
あとこれ写真じゃないんですよね。フィルムなんです。
現像に出せない理由があったのか…?
これがなんでかは…私の想像力や読解力では推測がたてられませんでした。
それとこの2番に関しては学生運動を示唆している
可能性が高そうです(親に聞いてみてもそうでした)。
学生運動に関してはそういったことがあったことしかしらないし、
伝聞でしか聞いてないこともありあまり深堀りしません。
どの文献も誰に聞いても主観まじりになる以上データソースとしては
私にとっては味付けされた物になってしまうので扱いが難しすぎます。
「僕」にとってその黒白の情景は「宝」だと思っていた。
「宝」に思える、それに参加したかったのか?または別の思いがあるのか?
それはわからないですが「あまり遅く生まれ」そして「一見相手にする店」
がある時代を生きる「僕」。
ボックスを叩く街の風が冷たい
どうしても1つだけ押せない組がある
手帳の1ページにいくつの番号があるのかはわからない。
東京もしくは大阪のページがあるのだろう。
いくつの電話番号があるのかはわからないが少なくとも1組ではない。
1つずつ順番に頼りに見知らぬ憧れもしくは尊敬する「宝」があった情景に
すがるように電話を鳴らす…
しかし虚しくも電話を取るのは期待に沿わぬ一見相手にも洒落た挨拶する店…
いや、工事や取り潰しで繋がらないことや民家になっていることもあるだろう。
そして順に掛けていく中で特別な意味を持つ電話番号が出てくる。
それは手帳の番号に付随する情報なのか、「僕」が知っているからなのか。
これを鳴らせないのは期待した応答が得られないことの恐怖か?
それともこの今の「僕」、
荒野の中で傷つき笑っている「僕」にとっては正答であっても辛いのか…?
発売の1988年、リメイクの1993年、現在記事を書いている2025年。
きっと「僕」が「宝」にしたかったものも、見つけらなかったお店も、
騒ぐほど賑やかで洒落た挨拶をするくらい華やかな店も
現在はさらに姿を変えているのではないでしょうか。
時代は移ろい変わるもの。
技術は生活水準を助力し、町並みはきれいになり、
比較にならないほど便利にもなりました。
でもそんな中、荒野で笑いながら傷つく人もいる。
はたしてそれは良い変化なのか…?
そう思わされる曲です。
中島みゆきの400曲以上あるなかでも
私にとって非常に心に響いた特別な曲、"ローリング"を紹介させてもらいました。