今、世田谷美術館で行われている展覧会に、私の祖父と父の作品が展示されている。展覧会のタイトルは「美術家たちの沿線物語 小田急線編」

祖父は昭和3年から5年までの間、パリで絵の勉強をしていたらしい。そして画家に。
一方父はイタリアのジェンツァーノと言う場所で行われている花祭りに20年以上通い続けて写真を撮り、その地から名誉市民の称号を授かった写真家。

今回の展覧会には、祖父の絵は元々収蔵されているので展示される予定だった。その上で、父の写真の展示をお願いをして展示された。

二人の作品が展示されるのが夢だった。

二人の作品への取り組む姿勢は祖父は「継続」、父は「瞬間」だった。
絵は書き上がるまで時間がかかり、その時に描き始めた時の心情が変わってはならず、継続的に描き始めた時の心情を持ち続けなくてはならない。一方、写真はシャッターを押した瞬間に全てが凝縮されている。

この小難しい話を、私は幼少期から聞かされて育った。父はよく、写真は芸術ではないと言っていた。それは先に述べた絶対性の違いで、絵と写真の出来上がるプロセスの違いだと言っていた。

その代わり父は、フィルム時代から仕事の写真とは別に、自分の日常を毎日毎日撮り続けた。また、ジェンツァーノの花祭りにも毎年通い続けた。

そう言った意味では、父は自分の写真を芸術に昇華させたのだと私は考えている。

しかしながら、美術館の考える写真芸術とは一体何なのだろう?

私にとって「継続」と「瞬間」は大切な教えで、高次脳機能障害のリハビリには大切なことだと考えている。