私の父は写真家だった。

父は広告写真とカメラ雑誌の原稿執筆を行っていた。その他に、自分の日常を撮影し続けていた。

フィルム時代から毎日毎日自分の日常の写真を撮り続け、カメラに日付けが写し込める機能を面白がって、「私の365日」と題した日付けが入った写真を365枚展示した展覧会を行った。
写真展はその当時のニュースで取り上げられる様なものだった。

私の父の父である祖父は画家で、昭和3年から5年の間にフランスに絵の勉強をしに行っていたらしい。

祖父の絵に対する一番の拘りは「継続」、一方父の写真に対する一番の拘りは「瞬間」だった。

絵は描き始めた時の心情をいかに最後まで持ち続けられるかが重要で、描き上がるまでにそれが変化してはならなかった。
それが「継続の絶対性」だった。

一方、写真はシャッターを押した瞬間が全てであり、それが「瞬間の絶対性」となっていた。

今でこそカメラもデジタル化されて撮ってすぐに画像が見られるが、フィルム時代は現像から上がってこないと撮影結果が分からなかった。
それ故に、祖父は写真を嫌っていたらしい。それは写真では継続が成り立たないから…

しかし、父は瞬間と言いながら継続的に写真を撮り続けた。「私の365日」以外にも父のライフワークとして、イタリアのジェンツァーノで行われているインフィオラータと呼ばれる花祭りに30年近く通い続け、その市から名誉市民の称号を授かった。

雨が降ろうが槍が降ろうが、はたまた息子がくも膜下出血で倒れても、父は写真を撮り続けた。
頭を包帯でぐるぐる巻きにされた私の写真は、高次脳機能障害を負ってしまった私の原点だと思っている。

今回の写真は父が亡くなり、棺に収まる前の父と父が1950年代からずっと持ち続けていたライカIIIfとのもの。



父の写真の原点であるカメラとの最後の記念写真。