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321水、シネマera浜松にてブリューゲルの動く絵を観る。
ブリューゲルとは、画家をたくさん輩出したネーデルラントのブリーュゲル家の中で最も有名な、ピーテルブリューゲルの事。
同姓同名もいるので、ピーテルブリューゲル父と専ら表記される。
生年と生地ははっきりしていないが、152530年、ブラバント公国現ベルギーという説もある。
没年は判っていて、1569年、ブリュッセル。
薄ッ達の生活を数多く題材にした事から薄ッ画家ブリューゲルと呼ばれる事もある。
北方ルネサンスの中で最も重要な画家の1人だ。
不思議な映画である。
彼の作品で十字架を担うキリスト1564ウィーン美術史美術館という絵があるが、映画はこの絵の中に我々観客を引き摺り込む。
そこにはブリューゲルがいて、彼が描いたネーデルラントの自然や村や人々の生活がある。
ブリューゲルは、中世来、他の画家でもよくそうしたように、宗教画を描く時、自分の生きた時代と場所に、キリストや聖母を持ってきた。
人々が宗教上の教訓により共感を持てるようにする為だ。
この絵の場合、十字架を担いでゴルゴの丘へ向かうキリストの回り、岩山の上に風車小屋があり、人々の着ている衣服は16世紀のベルギーのそれ、兵士達は、当時この地を支配していたハプスブルク王朝の旗を翻している。
遠景には、フランドルの大都市アントウェルペンが見える。
我々が引き摺り込まれる世界は、16世紀のネーデルラントであり、ハプスブルクの圧政が敷かれ、異端審問が行われ、そしてまた、キリストの受難が起ころうとしている。
これらの事は一切説明はなく、十字架を担うキリストの絵の中にカメラが入っていくと、そこに描かれていた人々が生身をもって動き出すのである。
ブリューゲルは群衆を描いた。
しかも、1人1人をごまかさずに、何を着て、何をしているのかはっきり描いた。
それぞれの感情表現にも手抜きがない。
現代に生きる我々は、時代が違う為、何をしているのか想像出会い系 村直太を凝らさねばならず、なかなか彼等の感情迄推し量れないところもあるが。
先月のNHKBSの番組極上美の饗宴で、ブリューゲルの特集があった。
有名なバベルの塔1563美術市美術館を採り上げ、描かれている塔を実際にジオラマで作ってみるという試みだった。
それは確かに作る事ができて、科学的な、または建築工学的な視線をブリューゲルが持っていた事を証明した。
また、塔の工事現場に小さく描かれている人々が、それぞれ何をしているのか、それも把握された。
ブリューゲルは大変現実的で具体的な思考の持ち主で、ただ空間を埋めるというような描き方はしなかったのである。
ブリューゲルの絵は、NHKの例もあるように、再現の欲求に駆られる。
この映画もそうだと思う。
形や色の再現に留まらず、それは、とうとう、当時の人々の生活や環境に迄入り込み、彼等の思いや感情の再現に踏み込まずにはいられなくなるのだ。
そういう、不思議な力を、彼の絵は持っている。
例えば、絵の前面右端には、地表から長い魔ェ立てられ、その上に車輪のような物が取り付けられている。
そこには、カラスがとまっていて、布の切れ端が風にたなびいている。
これは何か映画はその仔細を時間と伴に示してくれる。
当時、ネーデルラントには、プロテスタントが勢力を伸ばしてきていた。
ヨーロッパを広く統治するハプスブルクは、カトリックの盟主たる事を自ら誇示していた。
特にスペインハプスブルクのフェリペ2世は、反プロテスタントの圧政を敷き、この地にも権力と暴力とをもって当たった。
異端審問という手続きにより、多くの人々が刑死に遭った。
絵の中で、赤い服を着て馬に乗っている者達が、恐らくそのハプスブルク家に関わる兵士達である。
車輪には、異端とさせられた犠牲者が鞭打たれ傷付けられ、瀕死の態で載せられ、中空、魔フ上に揚げられた。
忽ちカラスやらの鳥達が舞い降り、犠牲者達をついばんだ。
これを車輪の刑とか車刑とか呼んだ。
映画は、若い夫婦の朝から物語り、2人は仔牛を橇に載せて家を出、広場に向かう。
その途中で、赤い服の兵士達に取り囲まれ、夫は連行され、上のような憂き目に遭う事になる。
絵は時間を含み持っていて、左端には、牛を橇に載せて元気に引く2人も描き込まれている。
その夫は、何時間か後には、あの布切れになってしまう。
ブリューゲルは、その一部始終を視ていて、絵にする。
絵の中央には、群衆に紛れてよく見えないが、小さなキリストが十字架の重さに耐えきれず倒れようとしている。
兵士が槍を持って威嚇し、人々は十字架を引っ張ったりキリストを引き摺ったりしようとしている。
左下にはキレネのシモンがいて、兵士に連行されるところ。
嫌がって反抗しているが、キリストの代わりに、彼がゴルゴの丘迄、十字架を背負うはめになる。
人々の目は、このシモンに釘付けとなっていて、キリストの行く末等に興味を持っていない。
民衆は常に目の前の事に振り回され、大局は忘れてしまう、そうした実態教訓を、ありありとブリューゲルの筆は晒し出している。
ここでも、時間は絵に吸収され、キリストは右奥の遠景、丘の上で磔にされ、人々が輪になって見物しているのが小さく描かれている。
また、ユが自分のした事の大きさを悟り、自ら首を括って死んでいるのが、中央更に奥に、東iとして見える。
人の目というのは、視ている物にしか焦唐ヘ合わない、それに、遠景はボーっと霞んでしまうのが、ルネサンス絵画が完成した遠近法だが、ブリューゲルの絵は、近景も中景も遠景も、丁寧に丁寧に描き込んである。
映画も、これを採り入れ、ずっと奥で歩いている人に迄焦唐ェ合っている。
これは不思議な視覚体験だ。
恐らく、CG技術やレイヤーの技法を駆使しているのだろう。
一番手前では、聖母マリアが、暗い顔色で目を伏せている。
聖ヨハネがそれを気遣っている。
最後に、カメラは絵を抜け出て、私も昨年行ったウィーン美術史美術館のブリューゲルの部屋を後ずさりしていく。
美術史美術館には、この作品を含め、ブリューゲル作品の世界最大のコレクションがある。
ブリューゲルの絵には、生と死とが隣り合わせになっている。
歓びと残酷が隣り合っている。
人は歳をとり死んでいく、戦で死ぬ人も、病で没する人もある。
でも、その回りで子供達は走り回り喚声を上げ、若い男女は自分達の欲望に囚われている。
こうした対極の共存する世界を、ブリューゲルは乾いた目で、是非等問わず、偏る事なく描き出している。
監督脚本レフマイェフスキ原作脚本マイケルフランシスギブソン風車小屋と十字架撮影監督レフマイェフスキアムシコラ美術カタジーナソバンスカマルセルスラヴィンスキ編集エリオットエムスルベルトルジク出演ルトガーハウアーシャーロットランプリングマイケルヨーク受賞グディニアポーランド映画祭審査員特別賞衣装賞美術音響賞ビアレッジョヨーロッパ映画祭最優秀作品賞最優秀監督賞他2011年ポーランドスウェーデン合作言語は英語。
ブリューゲルが英語をしゃべるのは、ちょっと気持ちが悪い。
写真1映画のポスター写真2ブリューゲル作十字架を担うキリスト