避択された制度の特徴
(1) 経路依存性
初期条件が重要である。歴史的な経緯によってその後の経路が決まる
(2) 選択された制度は粘着的で、なかなか変わらない。
→いったんある制度が決まってしまえば、自分だけがその制度に反することをしても損をするだけなので、皆がその制度に従うことになる。
→もし制度的基盤が、権利を侵害する路奪行為に資するものであるなら、権利を侵害する組織だけが生まれてくることになる。
(3) 選択された制度は必ずしも最適な均衡でない可能性がある。
非効率的な権利がいったん確立されてしまうと、この非効率的な権利を変えるインセンティブは権力を握った人々には働かないのである。社会全体にとってはよりよい体制であるが指導者にはより小さな私的利益を提供する体制よりも、より大きな私的利益を提供している現行体制を指導者は固持しようとする

制度は粘着的であるとはいえ、避択されたある制度は絶対に未水永劫続くわけではない人々の予測によって選ばれる制度が変わる可能性があり、またそれを政策が後押しすることもできる
制度が粘着的であるとすると、旧制度を断ち切って新しい制度を導入するのは、相当急進的な改革が必要である。

漸進的な改準が経済の効率性を追求しつつも、制度改業による敗者を作らなかったことで、改革に対する国内の反対を抑え、むしろスムーズな変革に成功

外国からの技術や資本導入による有利性がある。
これを後発性利益といい、これを体系化したものをガーシェンクロン命題という

輸入代替工業化政策
外国からの輸入を制限して、国内企業を保護し、保談された国内市場のなかで国内企業による「内向き」の工業化を意図したのである。
■この保護主義的な工業化を輸入代替工業化

輸入代替化戦路は一部の例外(国や台湾など)を除いて、ほとんどが失敗であった。さまざまな問題点がある

輸出志向工業化
工業製品の輸出を通じて、工業化を促進するというパターンである。

地補助金や税制優遇によって大工場を誘致している政策も重要である。
企業間の産業連携、企業と大学の産学連携の強化も重要な政策である。
→地域を越えた「よそ者」との連携も同じように、もしくはそれ以上に重要である。
→地域内の企業連携よりも地域外の企業との連携の方が、企業のR&D 活動の生産性を向上させる。
→人や企業の連携を促してネットワークを構築・強化するような政策を、「つながり文援」

貧困削減と経済発展との関係

「直接的政府保障」「成長媒介保障」

経済成長を高めることを通じた貧困削減

途上国の政策運営にも口を挟み、「良い統治」(good
governance)を求めていく

援助が経済発展に寄与するための条件は、受入国側のガバナンスが良好で、受け入れた援助資金が効果的に食国前成に利用されるということ

DDAが必ず途上国の経済成長に寄与するわけではないということもはっきりしてきた。ODA を受け取ることによって、ODA に絡む利権が発生して、むしろ政府が腐敗してしまう。
援助が受入国政府の規模や汚職を拡大させる一方、生産的な投資には向かっておらず、さらには貧困削減にも寄与しないということを見いだす研究が多い

国全体の経済発展と食困削減の間には強い相関関係があり、経済成長が食困削
滅の必要条件である。つまり、貧困削減には援助ではなく、経済成長が欠かせない

1人当たり平均所得が上がっても、貧しい人は貧しいままなのでは?
1人当たり平均所得が上がれば、貧しい人の所得も上がることが多い
- お金より大事なものがあるのでは?
所得の向上は(特に途上国において)
お金より大事なものをももたらす

平均所得が高いと貧困層は少ない
平均所得が高いと貧困層の所得も高い
所得が高いほど子供が早死にしない
所得が高いほど長生き
所得レベルは幸福度にも影響

幸福の決定要因
・高い生活レベル
・健康状態
・家族・友人との社会生活
・所得レベルは
-生活レベルを上げることで直接的にも
-健康状態や寿命の向上、労働時間の縮小など
でそれ以外の要素に間接的にも
幸福に影響する

所得が高いほど労働時間が短い

所得が高いほど総合的幸福度が高い
所得高いほど主観的な満足度も高い

投資率と1人当たりGDPの関係
右上がり

高い人口成長率 → 低い定常状態の1人当たりGDP

人口成長率と1人当たりGDPの関係

人ロレベル(成長率でなく) と経済成長

ペストによって人口が半減→賃金上昇

条件付き収束
•絕对收束
-所得が低いほど、所得成長率が高い
・条件付き収束(ソローモデルの結論)
一定常状態から離れていれば離れているほど、成長率が高い
-貧困国の定常状態が低ければ、その成長率は必ずしも高くない

新古典派成長論の理論的結論は概ね支持
その他のいろいろな要因の効果も検証されたが、はっきりとした結論が出ないものも多い

政策の効果
・貯蓄率・投資率の向上
- 農村部の金融機関の拡充
・日本の郵便貯金、現代のモバイルバンキング
- 海外からの投資の誘致
・人口成長率の減少
-1人っ子政策・避妊教育の拡充
-ただし、技術進歩を阻害するかも
・技術進歩率の向上

逆の因果関係かも:成長すれば貯蓄が増える

ソロー・モデルの結論
1. 長期的には、1人当たりGDP成長率は技術進歩率に比例して決定。つまり、技術進歩なしで長期にわたって成長することはできない
2. 短期的には、資本蓄積による成長が可能。
3. 投資率が高いほど、または人口成長率が低いほど、定常状態(長期的な均衡状態)における所得レベルが高くなる。
4. 定常状態の所得レベルより低ければ低いほど短期的には成長率が高いが、長期的には技術進歩率に比例して決まる成長率に収束(条件付き収束)。

様々な要因(X) の経済成長効果の実証
・はっきりとした結論が出ないものも多い
金融市場の発達度は概ね+の効果
- 株式総額や預金総額の対GDP比などで計測
・財政政策(政府支出など)の効果は明確でない
・教育の効果は不明確
・就学率や平均就学年数で測ると不明確
・点数などアウトプットで測るとより明確

様々な要因(X) の経済成長効果の実証
・近年はより本質的な成長要因に注目
社会(関係)資本
・政治的・経済的制度
- 民主政治・包摂的な政治
-開放的な経済制度
•歷史的偶然性
・地理的要因

成長回帰の難しさ
成長要因の内生性
逆因果関係:経済成長→ 民主化、教育レベル↑
相関関係は必ずしも因果関係ではない

操作変数を利用した推計が行われているが、因果関係を識別するのは容易ではない

メタ分析

外国から技術を吸収するための教育投資、外資企業の現地調達・研究開発の奨励

まとめ
・ 理論的には、貿易やFDIの経済成長や厚生に対する効果は正でも負でもありうる
・ 理論的に、貿易やFDIを通じて自国企業に外国技術が伝播するときには、貿易やFDIは成長促進的である
・実証的には、貿易やFDIの正の成長効果が一般的に見られるということはなく、一定の条件の下でのみ正の効果が見られる

イースタリン仮説 (相対的経済地位仮説) は、人々の結婚・出産行動は、生活水準に対する夫婦の期待と現実の経済状態の比較によって形成される相対的経済地位によって説明

人口ボーナスは長くは続かない

人口オーナスー人口が経済成長の足を引っ張る

投資と貯蓄に正の相関関係。国際資本移動の見方が成立しないーフェルドスタイン•ホリオカのパズル

技術進歩をどのように測定するか
財貨・サービスの生産能力=F(労働力、資本ストック、技術水準)

生産関数は生産要素と生産能力との技術的な関係

技術進歩率を全要素生産性上昇率(TFP、ソロー残差)

経済成長率に対する寄与度

異なる結果

高度成長時代を支えていたのは、資本ストックの増加率

資本ストックに次いでTFP上昇率も、経済成長を支えていたがTFP上昇率は、90年代に低下

90年代の経済低迷
その要因をTFP上昇率の趨勢的な低下に求めた
林・プレスコット仮説
労働時間の短縮とともに、生産性上昇の停滞が「失われた10年」の主たる要因ではないか
背景として、経済の非効率な部門の改革が進まなかったことなど

成長会計

データベース

技術進歩と人口
クズネッツ、サイモン
人口の総数が多いほど、その中から優れたイノベーターが生まれる可能性が高くなり、また相互の知的交流の機会も増えることで、技術進歩が促される

クレマー
戦後の先進国における技術進歩の速度低下を人口増加速度の低下と関連させて説明することに成功

アギオン、ホーイット
研究開発の成果は市場の規模が大きいほど多くなる

ガーシェンクロンモデル ,後進国の経済発展モデル先進国と後進国との技術格差が大きいほど,その後の後進国 の経済成長は急速になる

経済の非効率性を改善できるもの→貨幣

いかなる理由であるにせよ、その紙幣で交換が実現されると言うことを人々が信任しているということ。
どんな紙でも紙幣になり得るわけではない。紙が紙幣たるためには、人々の合意が必要。

発行した特権=シニョレッジ


無から有を産む特権は、通常、政府が保持。政府が裏書する信任のもとに、社会は紙切れを利用して最適な消費の配分を作り出していると考えられる

貨幣は記憶

社会的合意

取引相手が紙幣を所有していると言う事は他でもない今まですべての取引が成立したことを表しており、それはあたかも社会的な記憶を代用しているようなもの
貨幣が自分の手元にやってきたと言う事は、今まで貨幣による交換が全世代で成立していたと言うことを意味。

貨幣は、個人の欲望のために所有されている側面もあるものの、社会的なシグナル、ある種の情報の伝播として機能している側面もある

エコカードは、人々の手から手へ渡る

思考実験


企業へのメッセージとなる

ナッシュ均衡によって環境が維持される可能性
全くないとも言えない

貨幣のナッシュ均衡による理解

流れは変わりつつある

環境会計

環境配慮した生産をする企業を消費者が優遇する事は、必ずしも経済を悪化させるとは限らない。そのような消費者の欲求を知った企業たちは積極的な投資によってイノベーションを実現し、省エネで過小廃棄物の生産様式を生み出すだろうから

紙切れ1枚で事態が変わる

世代重複モデル

悲観的な推測によって享受できるはずだった利益を遺失する過誤よりも楽観的な推測によって発生する損害によって後悔する過誤の方を重く受け止めるべき

機会損失最小化基準(サベージ基準)ー後悔の度合いを最小に抑えるような選択をすると言う意思決定法

マクシミン基準ーその行動を選んだときに得られる最小の利益を最大化(=被る最大の損害を最小に抑える)、そういうことを選ぶ基準。
現実の人々の意思決定に頻繁に観測されることが知られている

温暖化で被害が出て、抑制行動のために、経済規模が小さくなったせいで、被害を救済することができない

環境を経済学でコントロールするために

環境の完全私有化は荒唐無稽すぎる前提

官僚専権によりかえって環境悪化

社会的共通資本の理論
環境を経済学上の厄介者とせず、むしろそれを積極的に利用することによって、市民にとってより良い経済システムを実現しようと言う逆転の発想を持った理論

社会的共通資本ー私有化されることが社会的に許されず、何らかの形で共同管理、運用されなければならないような生産要素、制度
3つのカテゴリーに分類→自然資本=自然環境。社会資本=社会的インフラ。制度資本=司法制度、市場制度、金融制度、管理通貨制度など

ボーモル・オーツ税はピグー税の経済手法が「削減目標の最少費用での達成」に使用することが可能であることを提案し証明したものである。 正確な外部費用が見積もれないため、課税によって達成された水準と目標水準によって税率を上下させて目標水準を達成する税率を探すという方法をとることで最終的に適正な税率が達成される

製造業など製品を生み出す「動脈産業」、その廃棄物を回収して再生・再利用、処理・処分などを行う「静脈産業

市場でプラスの価格がつけられるモノをグッズと定義する ●市場でプラスの価格がつかず、ただで取引されるモノをフリー・グッズと定義する ●プラスの価格で引き取る人が誰もいず、そのまま自然環境中に廃棄されると外部不経
  済を引き起こすようなモノをバッズと定義する

調整費用

忠誠であること」と「道徳的責任」を出しても、どちらが勝るが決められない。=「忠誠のジレンマ

残余物がグッズになるかバッズになるか経済状況(需給バランス) によって異なる

繁栄の光と影

バッズの排出による害は、まず公害となって現れた

動脈経済には、資本・技術・人材(人的資本)が集中するが、静脈経済ではこれらの要素が不足がちであった

科学技術的に知られていても市場経済で利用されない技術を潜在技術という

バックストップ技術とは、枯渇資源を用いなくとも、同じ経済効果をもたらす技術

市場リサイクルの条件
●リサイクルの単位費用がリサイクル製品の市場価格と等しいとき、この製品は市場協
協力をもつ。

同業者同士の協調ー水平的協調

垂直的協調
生産物連鎖上にある異業種間の連携も、バッズの発生・排出抑制のために必要。

パートナーシップが独占や談合を助長してはならない。そのために、パートナーシップを組む場合には、(1) 情報の積極的開示、(2)説明責任(accountability)
の遂行、(3) バッズの適正処理・再資源化費用の明確化・ルール作り、が必要

費用を支払う」と「費用を負担する」では意味が異なる

PPPは公害防止の費用を第1次的に公書の潜在発生者が支払うのであり、その費用を市場において上方ないし下方に転嫁される可能性

PPP は「汚染者負担原則」と理解されるようにな
った。
公害企業が彼害者に賭徴するのは当然のこと

外部費用を内部化された企業が1つだけの場合、完全競争市場ではその企業は費用を転嫁することができない。
● しかし多くの同種の企業に外部費用の内部化が要講されるとき、価格転嫁が起きる。
●価格の転嫁 (shifing)と帰着(incidence)の問題は、間接税の転嫁・帰着の問題と同じである

圧産量の変化と市場特価価格の変化は、無要と供給の増力性に依存する。
● たとえば需要の弾力性が大きければ大きいほど生産量の変化は大きく、市場価格の変化は少ない。この場合、費用の転嫁はできにくく、負担も企業側が大きくなる

応分の負担
● 論理的には、適正処理・再資源化の責任論と費用負担論は異なった次元の問題である。
● 責任論としては、拡大生産者責任(Extended Producer Responsibility, EPR)と排出者責任、適正処理責任が必要になる。
● しかし、費用負担は市場機能によって決められる。一旦支払いルールが決まったら、あとは市場が費用負担を決めてくれる。
●経済主体の応分の負担には、責任の分担と費用負担の分担の2つがあるが、多くの場合混乱して議論されている。

企業の自主性を尊重することは市場を利用するということ

市場活用は企業ばかりではなく、消費者にも使益をもたらず。

経済と環境はトレード・オフの関係にあるといわれることが多いが、一方で両立可能とも言われる。

環境評価の難しさ

ある環境要素を高く評価するハイ・ディマンダーと低く評価するロー・ディマンダーがいる場合、環境要素の重み付けは異なる。

公害が起きて GDPが大きく算出されるなどということはほとんどない。
●価格調整主義に考え方を採ると、公害が起きて GDP が増えることなどありえない。
既に完全雇用均衡が達成されているからである。
● 数量調整主義の考え方で GDP が増えるとすると、それは有効需要に純増があったときのみ。しかし蚊が増えようと、公害が起きようと、それによって GDP が増えるほど有効需要が純増することはほとんどない。

自然資本

問題なのは GDP の中身

機能的責任分担

包括的環境政策

経済的に測れるものだけを測ろうとすると一貫した指標が作れるが、豊かさ全般を測ろうとすると、誰もが納得する一貫した指標は作れない。

経済システム転換の難しさ

経済成長をゼロにしたら環境が保全できるという根拠はどこにもない

人間の知識の質や教育が向上すると、経済成長率はプラスになるのである。
経済成長率信仰も神話だが、「ゼロ成長」という考え方も一つの神話に過ぎない。

所得の増加と環境志向の関係

開境改善とともに利益を増加させた。
● 経済と環境の両方が向上する場合、2つの原因がある。一つは、経済主体の合理性の限界に基づくもので、効率性の限界で経済主体が行き着いていない場合がある。これは※非効率性とも言われるものである。
7.2.2. 長期的な観点から
長期的には技術が進歩するから、効率性の限界自体が動いている可能性がある。
● その場合、短期的には効率性限界で活動していたつもりでも、フロンティアが拡張しているために、限界状態にはいないかもしれない。
● 外側にシフトするフロンティアを常に追いかけて行動すると、経済と環境の両方が向上することになる。
● 環境規制などが実行されると静脈技術が頭在化し、それによって新たなる技術進歩が起きる可能性がある。その場合、常に効率性の限界を示すフロンティアは外側にシフトすることになる。
7.2.3. マクロ的視点から
● ミクロ的に経済と環境の両方が向上するケースがあったとしても、それが直ちにマクロ的な経済と環境双方の向上を意味するものではない。マクロ現象はミクロ現象の単なる積み上げではないからである。
● バッズの発生・排出抑制に関するミクロ的成果は、的確なレジームが形成していない
とマクロ的発生・排出抑制にならない。
7.3. 環境要素どうしのトレード・オフ
7.3.1. 環境要因のバッティング
経済と環境だけではなく、環境要素同士がトレード・オフの関係にあることがある

●開という製かさと物質の“かさは代替関係にある場合が多い。」
経済が一定の発展段階に達すると人々は環境の価値に気付き、国は環境政策を採り始める。
環境を保全するためには、経済が一定の成熟段階に到達することが必要である。
9.4.3. 逆U字型仮説
● 経済の発展過程で、経済成長と環境保全が両立することを示す研究成果がある。
● それは環境クズネッツ曲線(Environmental Kuznets”Curve)と呼ばれるもので、所得が一定水準を越えると、ある環境指標が改善される関係を示す曲線である。
● しかし環境クズネッツ曲線は、ある環境指標には当てはまるが、他の環境指標には当てはまらない場合もある。また、理論的根拠も明らかでない点に問題もある

環境犯罪は重罪
● 不適正処理や不法投棄などの環境犯罪は、軽く見てはならない。
●不適正処理や不法投棄の原状回復には膨大な費用がかかる。
人々の安全・健康を阻害する恐れのある環境犯罪は厳しく罰せられなければならない。

論理的には、適正処理・再資源化の責任論と費用負担論は異なった次元の問題である。
● 責任論としては、拡大生産者責任(Extended Producer Responsibility, EPR)と排出者責任、適正処理責任が必要になる

バッズの発生・排出抑制によって費用は削減されるから、静脈技術の技術進歩も加速される。
明確な責任ルールと費用支払いルールを定めると、その後は市場が問題を解決してくれる。市場の活用は、経済主体の自由も保証する。
6.4.2. 消費者の選択の意味合い
市場活用は企業ばかりではなく、消費者にも便益をもたらす。

. 企業の自主性を尊重することは市場を利用するということ
● 環境保全を要請されるとき、企業は自主的取組を主張することが多い。しかし何の保証もない自主的取組は効果の保証がない。
● バッズの発生・排出抑制の責任が明確化され、費用支払いルールが定まると、費用負担は市場を通じて確定する。資源配分の効率性も向上する

費用負担は市場機能によって決められる。一旦支払いルールが決まったら、あとは市場が費用負担を決めてくれる。
● 経済主体の応分の負担には、責任の分担と費用負担の分担の2つがあるが、多くの場合混乱して議論されている。

責任とイニシアティブ ーシステム構築の費用

評価の三要素は、行動:シグナルを発信、ネットワーク:評価を運ぶ媒体、ナラティブ(物語):評価確立に大きな力を発揮

地域の中でヒト、モノ、カネが循環していくような社会の実現をという。つまりは、福祉、環境、経済がうまくまわる社会

対人サービスは、本来的にローカルであり「地域で循環する」という性格をもつ。

・子どもと高齢者は「地域密着人口」と呼べる。今後はこの人口が増える。
 地域、ローカル経済が今後存在感を増す。

・神社(8万1千)お寺(8万6千)ローカルコミュニティの中心としての鎮守の森。

祭りが活発な地域には、若者がとどまったり、戻ったりする。

犯罪に対する警察官の「犯罪防止効果」は、一般に逮捕、有罪確率の上昇につながると考えるのであるが,それとは逆に逮捕・有罪確率の減少を招くと考えられる警察官の「犯罪刑罰効果」によって逮捕・有罪確率の減少につながるという考え方もあるのである。ここでは前者が後者よりも大きく、後者を相殺して余りあるほどであると仮定

一応ここでは警察官数が増加すれば、犯罪者の逮捕、有罪確率も高まるものと考えておくことにする
 
好景気により一人当たりGDP が上昇すれば、潜在的犯罪者が違法経済活動によって所得を移得する必要はあまりなくなると考えられる。

犯罪率というものは都市においてのほうが農村地域よりも高いと考えているのであるが、その理由は、都市化が進むと,都市の混雑現象が犯罪供給率を増加させると想定

得票最大化モデル

クモの巣理論
価格変動に対して、需要量や供給量が時間的ずれ(タイムラグ)を伴って調整される点を考慮した需給均衡の経済モデル

犯罪の種類ごとの,犯罪供給の抑止弾力性には非常に不安定な変動が観察

警察官が犯罪を目撃するなどといった機会が増加することによって、報告犯罪数が増加する(報告効果)

失業率もアルコール飲料販売額も,ともに犯罪供給に対しては正のインパクトを及ぼす

犯罪の抑止としてウィットは刑罰による抑止効果の存在を立証したものの,マイヤースはむしろ労働市場(雇用機会)の拡大による犯罪抑止の方が有効であって,刑罰による抑止効果は存在しないことを示した

犯罪の種類によって犯発者の行動には遠いがあることが示されている。すなわち、犯非者と一口にいっても。その効用関数には大変な過いがあることがわかってきているのである。従って,問題となっているのは、学習効果をもつような犯罪者の効用関数の特徴はどのようなものかということなのである。このような問題が解けてこそ真に政策的に有効なインプリケーションがえられたといえるはずであって、今後の理論的なフィードバックを通じての発展に期待したい。

アーリックのモデル
犯罪者にとっては極めて合理的な決意の結果であって,非合理的であるとか,近視眼的な決意であるという批判はあたらない。犯罪者が犯罪に特化するということは,極めて合理的な決意であるのと同じく,犯罪者が確実性の上昇あるいは刑罰の厳格性の上昇,更には合法的活動に対する相対的な報酬の上昇というような誘因に対して大きな反応を示さないということも,極めて合理的な決意の結果であるかもしれない

犯罪者は目先しかみていない

潜在的犯罪供給者が犯罪を犯すための決意をする場合には、その人の貨幣的な富の水準に及ぼす影響のみを考慮して決意するのではないという問題意識をもつ

犯罪及び雇用にかかわる心理的費用の考慮が必要であると主張!

心理的な便益,心理的な費用も,貨幣的な便益や費用と全く同様に表現できるものと仮定した。この仮定に対しては批判がありうる
この仮定が受け入れられる限りは,犯罪についての決意にいたるプロセスは,全て貨額で表された富によって要約しうる

犯罪の心理的便益及び心理的費用は富の水準からは独立と仮定することによって,ブロック=ハイネケの分析の不明瞭性は大部分解消

他の経済理論と同様、一般的なモデルの構築を試みれば,その費用として明確な結論をある程度放棄することになる可能性が大きくなる

犯罪よる学習効果

社会にとっては何らかの形の厚生指標を考えて、それを最大化するように犯罪防止策の水準を選択

犯罪に対する費用(これは逮捕されて刑罰を受ける確率で表されるものとする)と犯罪水準は正の関係があるとする。すなわち、犯界水準の上昇は、犯罪に対する費用の上昇をみちびくと仮定

犯罪間の代替と補完
犯界の供給者にとっては、犯罪が一種類である必要はない。理論的にはもちろんその通りであるし,また現実の犯罪供給を観察しても、犯罪者が同時に複数の犯罪を供給することの方がむしろ多いから,各種の犯罪間の代替と補完という経済学的な考えがでてくるのは,経済学から犯罪に接近すればむしろ当然と考えられることであろう。それは丁度新古典派的な企業理論における結合生産物の理論、あるいはより一般的に複数の生産物を生産する企業と同じように考えることができるかもしれない。

期待効用極大化モデル

捜査に着手するまでには相当な期間を要することがある。また
ぁる種の犯罪については、犯罪が行われたかどうかを立証するためには、ある程度、犯行為が※水的に蓄積されないと認知できなかったり、また捜査が始められても犯罪主体の特定化に相当長い期間を要するというようなこともある。
まして犯罪主体の特定化が難しいような場合には,裁判での決着には相当長い年月を必要とするような例も散見される。具体例としては企業犯罪の代表的な例としての公害犯がよく引用される。主として技術的な要因によって,公害犯のような場合には,犯罪供給時点と,その認定,刑罰の時点が異なってくることが考えられる。こ

ポートフォリオ・セレクション

サイズ効果 地域の人口増加

刑罰を受けることは不確実なことであるから,この不確実性が,(犯罪の期待所得に影響を及ぼすのは当然のことであるが)その所得の流列を稼得すると期待される期間の長さにも影響を及ぼすという事実である。すなわち,刑罰のタイミングは,犯罪供給行動に重大な影響を及ぼすかも

刑罰のタイミングが犯罪にとっては重要であり,実際に犯罪率が上昇すれば、捜査までの時間が短くなると考えられるから,犯罪の所得の流列は,実は通常の時間選好率のみならず,犯罪率に応じた逮捕確率を加えて割り引く必要

潜在的犯罪者が問題とするのはフロ一の所得ではなく,ストックとしての富であるとする

時期選好率の高い人は、時間選好率の低い人に比べて犯罪率を高める

厳格性の方が強い加止効県を持つならば、犯罪者は危険回避的であるということを示唆

確実性の方が強い抑止効果を持つから、ベッカーの主張が正しければ犯罪者は危険愛好者ということになるが、危険愛好者が全く犯罪を犯さないということがあるという結論に到達

ベッカーの主現は必ずしも正しくないかも

臨界点

連法経済活動に費やす時間が長くなればなるほど、例えば警察などへの第3者からの通報もありうるから,逮捕される確率も上昇することになってしまう

時間」が犯罪にとっては重要な要素の一つ

犯罪に特化している主体の場合は、より多くの時間を進法経済活動に致やすことにより,選から逃れるような新しい工夫を講じたり、また何らかの努力を行う

確実性と厳格性は犯罪抑止効果を持ち、その相対的な効果は犯罪者の危険に対する態度に依存する,という結論にチャレンジ

ヤニブのモデル
ある処卵の必要の商酸が、加界者の危険に対する想度に依存するということであり、具体的には必要さの程度は、危険愛好者,中立者,回避者の順に弱くなっていく!
犯罪が依然として行われているような場合には、抑止変数を強めたりすると。かえって凶悪の程度が高まることがある!

統計的に観察すると警察支出あるいは警察官の数などと犯罪水準はともに趨勢的には上昇個向がみられ、従ってを発活動の抑止効果は表面的には存在しないように見える。しかし。実はこの学部効果を考慮すれば、抑止効果の存在も示すことができるというのが基本的な考え方である。

一般に学習効果という場合,それは企業が生産を続けていく場合に,果積的な産出量の増大に伴って平均費用が通減していく現象を指す。この考え方を犯罪供給に適用する場合には、犯罪の経験が増すにつれて,非合法活動の生産性が上昇することが示されれば、犯罪者には学習効果が存在するということができる。従って,たとえ警察活動水準の上昇が犯罪抑止効果を持つとしても,犯罪水準が上昇する場合には管察支出の増加率も上昇していく必要があることになる。従って,表面的には警察活動水準の上昇は犯罪抑止効果を持たないかのように観察されてしまう

犯罪者にとっては初犯の報酬は大きいが,犯罪の機会が所与の場合には,犯罪を増加させるにつれて,その収穫は低下するからである。あるいはまた別の見方をすると,たとえ収酸が一定にとどまったとしても,盗品などが売れる価格は低下するであろうから、収入は通滅的にしか増加しないと考えることもできよう。

最適犯罪数は、最後の犯罪からの限界収入をその原菜使用に等しくする水準

犯罪の学習効果

潜在的犯罪者個人の過去の犯罪の経験による常習効果であったが、現実には必ずしもそのような学習効果のみではなく、犯罪者が他人が蓄積した経験を利用して犯罪を犯すこともある。このような学習
効果は、親密な他の犯罪者と接触できる場,具体的には刑務所における相互間の信報交換(教育)によって達成されることが多いと考えられる。実は刑務所、あるいはより広く法執行制度そのもののなかにおける正制度のあり方というものは、犯罪の経済学では重要な位置を占める。より具体的にいうと,この学習効果といった要因のほかに,各種の他の要因が複維に相互作用を及ほして、法執行制度そのものが犯罪供給関数にフィード・バックされてくる。そのような場合には犯罪供給率のみを従属変数として,独立変数として犯罪の抑止変数を考察することは間違いであり,いわゆる想定誤差を導く可能性が高い

正の外部効果」とでも呼ばれるような状況が考えられる。すなわち。 
犯罪者の間の相互作用がそれぞれの犯罪者の経験の蓄積になっていくという側面
たとえば,(両)親が犯罪者であるような家庭に育った子供(たち)は、(両)親あるいはその交際相手たちの犯罪経験に接する機会が多く,過去の経験を利用することができる可能性を持ち合わせている。もちろんこれは単に可能性であって、必ずしも学習効果となってこない場合も想定できる。例えば蓄積された犯罪が全て犯罪の経験につながるとは思われない

犯罪者が蓄積した経験によるより巧妙な犯罪行為は他の事情を一定とすればその犯罪者の犯罪水準を増加させることになる

時間の経過とともに、老齢化や
収監により、犯罪者が犯罪供給をやめて市場から退出する一方で、犯罪経験や犯罪について何の知識も持ち合わせていない。技術的には程度の低い若年の犯罪者が市場に参入してくる場合を想定しなければならないからである。ある意味では負の人的発本ストックの設備とか、あるいは人的資本ストックの服を扱えといったものの経済学的効果というものも興味深い考が対象

マクロ的な学習効果を考える場合には、警察を含む法教行制度と犯罪供給のフィード・バック効果を考える必要

警察支出を犯罪抑止変数の代理変数とすることには大いに疑問がある

警察は典型的な多種生産物の生産主体である。すなわち,犯罪の防止や犯人逮捕、捜査も重要な生産活動である一方、管察にはその他の公共サービスを生産して供給するという役割もまた非常に大きい

警察支出が犯罪の防止、捜査、犯人逮捕の理由が主たる理由で変動するかどかは全く明かではない。
むしろ警察の人的資源、インフレによって警察支出は大きく変動
警察支出が抑止のための適切な代理変数かどうかは。むしろ疑問の余地の大きすぎる問題

ベッカーは,社会の目的を犯罪からの社会的費用の極小化ととらえた。そしてその費用は、大きく次の3つに分類できるものであるとした。ひとつは犯罪の直接費用,すなわち犠牲者の役害マイナス犯罪者の利益の社会的価値で定義されるもので,大体において正であると考えられる費用である。第2の費用は、犯非者を遠糖、有罪にするためにかかる費用,そして第3の費用は刑罰の社会的費用である。そして,犯罪の費用は大きいから、犯罪水準をゼロにすることは政府にとっても社会にとっても最適な政策ではなく,むしろ合理的な政策は犯罪水準を低下させる費用と,それによって生み出される便益を比較して決定すべきものであると考える

ナッシュは犯罪を犯すか否かの決意は一回限りで,初期に犯罪を決意した場合には、その達反(犯罪)を継続すると想定
このようなケースは現実にも相当あるのではないかと考えられる。例えば,犯罪の開始により警察などの当局に苦情が殺到するような場合には,例え犯罪行為を中止してもかを低下させることにはならないと考えられるから,違反者側では犯罪行為を中止しようという誘因を持たないかもしれない。また,例えば大規模な設備投資を必要とするような活動を伴う違反の場合には(例えば公害排出企業),設備投資の決意を逆転させることは禁止的に高い費用を伴う行為であるから,とても容易に受け入れられないかもしれないといったことが考えられる。

諸仮定の下に

計算を容易にするために,時間は連続時間であるとする。このような場合の潜在的犯罪者の決意問題は,多期間に亙る犯罪
から得られる純便益の割引現在価値が正か否かによる。もし正であれば犯罪を決意するし,負であれば犯罪を決意することは合理的なこととはいえない

犯罪者の市場に参入している期間(あるいは生命)が有限である
ぅと無限であろうと,最適用間には変わりがない

潜在的犯非者の生命が短くなれば、それに従って刑罰を受ける確率が小さくなるということになるが、市場から退出したり,あるいは生命が終わった後の利益はゼロとなってしまうから,犯罪からの利益もまた同様に減少

早計

確固たる経済理論分析(モデル) に基づく推論もなしに、単にある時期の,ある標本が、ある統計的回帰式の回りの誤差が比較的少なかったということが,直ちに何らかの経済学的なインプリケーションを持つことになるかというと,必ずしもそのような乱暴な結論は引き出せないはずである。従って,ここでもやはり,この相対所得けな
ゎち所得分配上のある意味での不公平さ)の問題は、犯罪の供給に重大な影響があるかもしれないという可能性を指摘したことで,スティーバンスの研究を評価しておくことにとどめ,より厳密な理論分析は将来の研究に待つことにし
たい

犯罪供給のモデルとしては理論的には不明の点が多いのであるが,失業(貧困)とアルコール飲料の販売(及び消費)が犯罪供給に影響を及ぽすかも

犯罪というものは 19世紀後半からの急速な工業化の進展にともなって発生した社会問題であって,近代化,つまり経済発展による都市化,工業化が犯罪供給の急増をもたらしたとしている。しかし、ここで主張されている犯罪については,主として現象面が強調されていて、都市の犯罪と地方の犯罪は,立地,貧困。人種,年齢等によって性格が異なることが指摘されている。しかし、その理由については,やはり厳密な理論的分析
(モデル)に基づくものではないために,全く明らかにできていないといわざるを得ない

犯罪供給者は不確実性下で期待便益が期待費用を上回る限り犯罪を供給するであろう

警察の犯罪に関する効率性=警察サービスの生産関数

支出の効率性(費用便益分析)

刑罰
確実性、厳格性

殺人の刑罰としての死刑の一般抑止効果
極めて強い殺人抑止効果

犯罪は複合的な現象

ベッカーは犯罪を,主体の時間の制約条件付きの労働共給のある側面と同様のものとみなした

不確実性下の決意問題として、犯界者の犯罪を引き起こす行動を把握した点にある。すなわち、犯界を行う者にとって、犯罪の報酬は本質的に不確実

刑事法= 刑罰の犯罪抑止力

死刑に関する変数が有意な影響を持つか否かは、用いているのが死刑言渡し率か死刑執行率かによる

犯罪が失敗する確率が大きいほど,犯行は少ない

犯罪と刑罰の経済理論
1 人が犯罪を起こすのは,犯罪の効用の方が、合法的行動の効用よりも大きいときである。そして,犯罪の効用は,犯罪の期待利益から犯罪の期待費用を引いたものとして考えられる。ここで,犯罪の期待利益とは,犯罪が成功したとき得られる利益と犯罪が成功する確率を掛け算したものであり.犯罪の期待費用とは,犯罪が失敗したとき科される刑罰の重さと犯罪が失敗する確率を掛け算したものである。以上は,犯罪の1つである殺人についても当てはまる。これを関数の形で簡単に定式化すると、下のようになるだろう。
殺人発生率= f(殺人の期待費用,殺人の期待利益,合法的行動の効用)

ペッカーの考え方によると。犯罪供給の誘因は単純な理由による。すなわち、犯罪を行うことから得られる期待効用と,合法的行為によって得られる(現実の効用を比較して、もし前者の方が後者よりも大きければ、主体の合理的状
意の結果として,その主体は犯罪を行うというのである。すなわち,もう少し経済学的な用語法を用いれば、犯罪からの純便益(便益マイナス費用)の期待効用と合法的行為からの純便益の効用の比較により,前者が大きい場合には犯罪が選択されるということになる。

ベッカーのモデル
基本的に合法的活助と非合法的
活動への間への時間の最適配分にかかわるモデル

犯罪にかかわる心理的な便益や心理的な費用を,貨幣額で表示した所得とか富で表せるものと仮定して分析をすすめている。これには,もちろん問題がないわけではなく

主体が目的間数(効用、利潤など)を犯罪に加算により極大化するという犯罪を犯すことのみが目的の犯罪は考慮していないから、定義から需要関数は存在しない

主体の期待効用極大化行動から犯罪供給関数が導出

それまでの犯罪についての理論は、頭蓋骨の形状とか、生物学的な遺伝、特な差別された人々との接触、先天的異常,あるいはまた家族教育の特殊性といったような,ある意味で偏見以外の何物でもないようなことに基づいた理論であった。従って,それらの理論は犯罪学といわれるようなものであると同時に社会学的な理論という側面ももち,あるいはまた心理学的な理論という側面ももちあわせていたが,科学的な理論というにはほど遠いような極めて稚拙な理論の域を出ないようなものであった。

犯罪の決意については、その主体の危険に対する態度が、危険中立的、危険回避的、危後愛好的のいずれかによって、大きく左右される

犯罪行為に対する期待便益と期待費用が、個人間で異なることがある。逮捕されるかもしれないという危険についての主観的確率個人間で異なる危険に対する態度が個人間で異なる。これらの事実によって犯罪が引きおこされる

刑罪の厳格性も確実性も,ともに犯罪を抑止

今日では,この「抑止効果」は一般的には成立しないかもしれないという説も有力になってきており,より弱いニュアンスで「一般抑止効果」というような用語法で呼ばれている

刑罰の厳格性及び確実性が高まると,犯罪の供給量は減少することになるという抑止効果

最初の定式化であったこともあり、いくつかの問題も残していた

正確な尺度

法執行体系に対する支出
支出増加→抑止効果→犯罪水準が一般に減少

法執行体系への支出の増大が、犯罪率や犯罪水準の上昇となるように見えることも多々

法執行の支出増大は,その全てが犯罪に関わるものではないという単純な事実

警察支出の増大は,人口の流出入とともに,都市における犯罪が上昇し、それに伴って上昇する傾向がある

犯罪の防止は社会的には極めて重大な意義を持つ

犯罪が供給されるためには、
犯罪からの限界期待収穫は、
合法的活動からの限界期待収穫よりも大きくなければならない

潜在的犯罪者の危険に対する態度とは無関係に犯罪行為に参入するか否かの決意は、期待限界便益対期待限界費用の比較による。

期待値(理論的平均値)

報告されている犯罪水準と、実際に起こった犯罪との間には大きな差がある可能性が存在

実際の犯罪水準は,認知件数あるいは報告された犯罪水準を相当上回る可能性がある

暗数

犯罪的行為というものは極めて合理的な行動

ある個人が快楽の追求過程で犯罪を犯したような場合には,このような行為に対しては不十分な抑止(あるいは苦痛)しか存在しなかったからにちがいない

労働者階級の経済環境の変化及び階級間の富の格差の拡大と犯罪水準の変化との間には統計的な関係

犯罪の主たる原因は,個々人の肉体的並びに心理的な構造に深い関係。頭蓋骨、脳,内臓。感覚、反射作用,の異常,更にまた知性と感情、特に道徳的
感情とか犯罪的な慣用語及び文学に対する特性,あるいはまた人種、性別。また社会的な地位、職業,住宅,社会階層,教育などが含まれるという。時代的な背景も考慮に入れなければならないが、二つの点でこのような考え方は全く間違っているのである。まず第一に,内省的な視点から,科学的な分析へと進歩しつつあった犯罪への経済的アプローチの実証的、統計的分析を無視してしまったこと,そして第二に、犯罪という社会現象を,人間の肉体的異常から説明しようという。今日では考えられないような種加な考え方、より明確にいうと誤りを犯したこと

犯罪は極めて明白な経済現象の
ひとつ

個人の経済的な富あるいは所得の増大による経済的な安定(スミスの言葉では独立性)は,犯罪の防止につながる

ボンガーが経済的環境と犯罪との間のある種の関係を主張した最初の人として,トーマス・モアをあげている

多くの犯罪に対する刑罰の厳格性についても鋭い批判

あの人たちにも何らかの生計の糧ができるようにしてやり、まず第一に盗まなきゃならぬというような,第二にそのために死ななきゃならぬというような恐ろしい窮地に追いこまれる人がいなくなるようにもっとよく配慮してやるべきなのに,われわれは泥棒に重い残酷な刑を定めています

一人当たり警察官を増加させることによって報告される犯非数が増加
一人当たりの警察官の数を増加することによって2つの効果が期待できそうである。一つは犯罪の防止効果であり,常識的な効果といえよう。もう一つは犯罪の報告効果(あるいは創出効果)といわれるものなのであるが,この彼らの推定結果は,後者の効果が前者の効果を相殺して余りあるほど大きかったという可能性を示唆

性の収斂仮説ー女性の社会進出が進むに従って,社会的な活動から比較的隔離されていた女性達が犯罪活動に参入してくる機会も増えているようである。このように,女性犯罪は、当然その供給主体である女性の社会的な側面を含めたいろいろな要因の変化によって変動するはずであってこの「性の収仮説」にたいして,今日までのところ対立する有力な仮説が主張されているとは思われないから,問題はまず第1に仮説の統計的な実証ということになろう。これについても,筆者は刑事政策上重要なインプリケーションを持つ問題であると認識しており,やはり将来の研究課題であると考えている。

犯罪は複雑な社会経済現象

アルコール飲料の消費と犯罪供給には,マクロ的に正の相関関係があるということが実証

飲酒についての社会的な規制が諸外国と比べて比較的弱いといわれることの多いわが国でも,このような影響がみられるか否かは、刑事政策上重要な検討課題

もう一つの社会経済変数として注目すべきことは,テレビジョンの鑑賞時間と犯罪供給率との関係である。犯罪の供給に関しては,潜在的な犯罪供給者が入手する犯罪についての各種情報(夜害者,犯罪方法・手段,犯罪時間,犯罪地域,逃走手段,等)が一つの重要な供給要因となっていて,それらの諸情報は,先に指摘した学習効果のほかに各種メディア,とりわけテレビジョンによって放映される犯罪により伝達される

失業率を1%低下させることの殺人率の低下の効果は,死刑を1%上昇させることの殺人抑止効果と同程度

14歳-25歳人口の割合は,殺人率とは強い正の関係をもつことも実証された。また恒常所得も同様に殺人率と強い正の関係をもつ

労働力率については、ほとんどが統計的には有意とはいえなかった

殺人という犯罪は都市型の犯罪の傾

人を正直にするのは高くつくのだ〜メカニズムデザインの考え方

メカニズムデザインーどうやれば人に何か社会的に見て適切な行動をするインセンティブを与えることができるか

本人だけの知る情報ー私的情報

私的情報」を持っている誰かとなんらかの取引をするなら、巧妙な契約を作って、彼らの私的情報が露わになるように仕組まなければならない

グローブス・メカニズム
正直な申告をするのが合理的な戦略となる

こんなのに実際的なじゃない。机上の空論だ」という人がいるに違いない
でも、このことは、見方を変えれば、こういう風にも解釈できる。つまり、「人に本音を言わせるのは、ただでは無理で、場合によってはとても高くつく」、ということ。だから、社会においてその構成員に正しいインセンティブを与えるためには、非常に大きいコストを要する可能性が高く効率的な経済活動というのは口でいうほど簡単ではない

固定給にはそれなりの必然性がある〜リスクシェアリングの考え方

人間には3種類のリスクに対する態度がある、と考える。「リスク中立的」、「リスク回避的」、「リスク愛好的」の3種類

平均的には不利でも、利益の変動そのものが大好き

情報の非対称性」がある場合には「変動報酬」が契約される

リスク」とは「変動」のことであり、必ずしも「悪いことが起きる」ことではない。株の場合、値下がりはもちろんだが、値上がりすることも「リスク」と呼ぶ

期待効用」という観点では、社員は固定給よりも高い効用を得ているから問題はない、というのが経済学的結論なのだが・・・

経営者が「リスク中立的」で社員が「リスク回避的」である場合には、これが合理的な決着

ボーナスは、モラルハザードへの対抗策なのだ〜契約理論の第一歩

利用者になんらかの形式で適切な負担を賦課するような制度や掟を施行すれば、コモンズはエコロジカルな意味で最適な成長経路を持ちうる

コモンズの論理が、経済理論として有名な「独占の理論」と表裏の関係にある

ワリカンにすると、みんなが競って高い飲み物や料理をオーダーして結局一人あたりの支払いも高くなってしまう!

たいていの経済問題には、この「ワリカン」に類したシステムがつきもの

競争は社会を最適な状態に導くけど、独占は逆に非効率をもたらす

独占企業と消費者の間に「情報の非対称性」があり、情報を持っている独占企業が戦略的に行動するため、両者ともに非効率性が発生

競争」が万能なのではない。正しくは、「市場取引」という制度を使って社会を効率化したい場合には自ずと「競争」を前提にしなければならない

独占のほうでは、「一物一価」という「ワリカン」システムのせいで、社会全体の利益をまだ増やせるにもかかわらず、独占企業が増産をストップしてしまい、社会に非効率をもたらしている

コモンズの悲劇」では、「全体に一斉にコストが均等化される」ことが、参入者に正の利益を生むため、過剰参入を促し、全体でみれば大きな損害をもたらすことになる。

コモンズという「ワリカン」システムとオープンアクセスというシステムの相性が非常に悪い

市場取引」と「独占」とがとても相性が悪いことにあり、決して、独占企業が悪事や陰謀を働いているわけではない

一物一価」ではなく、消費者それぞれに「個別価格」で販売していいならば、結果は異なる

独占市場はその「ワリカン」システムのせいで、効率性を逸してしまっている

社会にとって良いこと」が、独占市場では実行されないのだろうか。独占企業が何か悪事や陰謀を働いているのだろうか。
 そうではない。どちらかといえば問題は、「市場取引」というシステムのほうにあるといっていい。
 市場取引というシステムには、「一物一価」という原則がある。どんな商品も同じ価格で販売されなければならない

ワリカン」システムのいたずら〜独占は「悪事」なのか?

いくら情報交換しても確信に至らないメカニズム

企業を箱ものとしてだけ見ちゃだめだよ〜トービンのq理論

企業の株を買い占めるために必要な金額が、その企業の箱もの(所有する建物や機械や土地など)の総価値より小さいことを意味するので、買収して企業の物的資産をばら売りしてしまえば買収費用を取り返した上、さらに儲けが出るから

企業というのは、単なる建物と土地と機械と労働者の寄せ集めではない。そこには、それらを越えた何か「有機的な要素」が本質的にかかわっていると考えられる。それは、「知識」とか「ネットワーク」とか、「信頼」とか、「チームワーク」とか、「伝統」などと呼ばれる要素である。これらの価値は、企業の物的な価値(再取得費用)には現れないが、株式の評価には算入されるもの

トービンのqが小さいということは、物的な資本を効率的に活かしていない、ということであり、それはせっかくの所得を投資によって資本に回しても、それに見合うような見返りが得られないことを意味

企業の経営者が(なんらかの既得権を行使して)不当に配当を小さくする場合にも生じる。(不要にぴかぴかな本社ビルを建てるとか、経営者の報酬が大きすぎるなどの理由で)配当が小さければ、株価は低くなり、それは必然的にトービンのqを低め、買収のターゲットになる危険性を呼びこむことになる。そういう意味で、M&Aは社会が資本を効率的に利用のための外的圧力だという見方もできる

単なる不合理な低配当から生じたM&Aが成功して、会社がバラバラにされてしまった場合、そこに存在していたはずの有機体としての企業価値(知識、ネットワーク、信頼、チームワーク、伝統等)が一瞬のうちに失われてしまうからである。これらのものは、一度失われると一般には回復がおおよそ不可能なものだといっていい。そうなった場合、それは株主や従業員だけの損失ではとどまらず、社会的な損失になっても不思議ではない

従業員間での生産プロセスや知識や技術の共有のためにかかる費用などである。これを「投資の調整費用

ペンローズ効果

環境を通じて経済をコントロールする〜社会的共通資本の理論

宇沢は、この社会的共通資本の理論を提出することによって、むしろ「自然資本」を含む社会的共通資本こそが、経済システムの不備と不安定性を補い、人間社会に豊かさをもたらすもの

環境」の存在は経済システムを自律的な効率性から遠ざけてしまうものと見なされてきたのである。

社会的共通資本の適切な管理・運用によって、経済システムは、十分な豊かさを与えながらも適切な節度を保つことが可能に

新しいパラダイム

環境」を、市場システムで最適化できない「やっかいもの」として扱うのではなく、むしろ逆に、市場システムが決して実現することのできないより魅力的な社会を生み出す源泉だと見なす、いわば「コペルニクス的転換」の理論

ミニマム・インカムの理論」

貨幣」には「選択の自由」がある

デューイは、学校教育制度は3つの役割を果たす、と主張する。第一は若者がりっぱな社会人として人間的成長をする助けをする「社会的統合機能」。第二は、経済体制が必然的に生み出す不平等を是正する「平等主義的機能」。そして第三は、子どもたちの固有性に応じて、その身体的、知的、情緒的、審美的な能力を発達させる「人格的発達機能」。デューイは、この3つの機能を備えた学校教育制度が、資本主義および民主主義と相補的な関係を築くことで、公正な社会を構築できると考えた。

環境こそが経済を最適化する

バブルがはじけると不況になる

貨幣のいたずら〜その多機能性が悲劇を生む

お金より環境でしょ

興味を持ったのは、「土地の平均価格が高いかどうか」ではないのである。彼らが注目したのは、土地価格が全体として「まんべんなく高くなっている」のか、それとも「値上がりが一部に偏っている」のか、そういういう問題だった。そういう「偏り」を計測するには、ジニ係数が適している[*2]。
この論文によれば、ジニ係数は1980〜1984年頃には0.57程度の水準だったものが、1985年頃から急上昇し、1987年〜1992年の間ずっとピーク水準の0.75程度を保っている。そして、この期間にバブルが崩壊を迎えたのは周知の事実である。バブル崩壊後は、急速に下がり2000年には0.5程度の水準に戻っているのである。
このことから、海蔵寺&海蔵寺は、バブルの崩壊は「価格水準がピーク」のときに起きるのではなく、むしろ「価格の偏りがピーク」のときに起きるのではないか、という仮説

代表的なチャート理論として「ゴールデン・クロス」というのがある。これは、「過去100日間の株価の平均をプロットした線、いわゆる百日線が、二百日線を下から上に横切る時は将来値上がりが予想される

結論を急がず

コースの定理」以前には、既得権を持たないほうが持つほうに補填を行うよう法的な介入を行うべきだ、と考えられていた。ところが、コースは、どちらに既得権があっても同じ結果になるから、第三者の干渉なしに、当事者の交渉によって妥協点を見出せば、それが社会的に効率的なものになる

工場の賠償でも、漁業の補償でも、同じ社会的な最適状態を実現できる

一つの理論として、ベンチマークとして見るのが正しい態度

市場を通じない損害のことを「外部不経済」

頭を冷やして、この定理について、いろいろ調べたり研究したり

外部不経済の発生者(汚染者)に賠償を求めることがいつも「公正」なわけではない

幅広く事例を当てはめてみると、「コースの定理」の結論を、必ずしも非人間的で公正を欠くものだと断じることはできないわけである。経済学(に限らず広く社会科学)では、自分の狭い知見からモデルを解釈すると、先入観にとらわれて認識を誤ることが往々にしてあるから用心しなければならない。

一般均衡モデルで考えるなら、コースの定理の結論が成立しないほうが自然

一般均衡モデル」というのは、社会を一つの「閉じた箱庭」と見なしたモデル

コア
部分的離脱を封じて全員提携が合意されるような利益分配

コースの定理」が市民の直感に合わないのは当たり前で、それは非常に稀な偶然ケースを扱っているから

市民の感覚がおかしいわけではなく、「コースの定理」の設定が特殊すぎるため、市民の常識に合わない結論をもたらしていたにすぎない

毒に対してアレルギーを起こすのではなく、毒をもって毒を制したわけで、これぞ経済学のクールさ

単細胞な憤りは、自分がまだまだアマチュアであることの証拠だったわけで、クールな学問である経済学の洗礼を受けた一件

セキュリティには犬が良い