こんにちわ

 

 

 

今日は高校の旧友と食事会をしてきました。

 

約5年ぶりの再会となり、身の上話でかなり盛り上がりました。

 

わたしも含め互いに起きた過去の経験は面白いものです

 

 

 

しかし、食事会後とても大きなダメージを受けていることに気づきました。

 

日頃のわたしはある事を必ず言っています。

 

 

「無知による幸せ」と「認知による不幸」です

 

この二つにより、かなり大きなダメージを負いました。(笑)

 

自分の過去にある、自殺未遂が決して喜ばれるものではありません

 

ましてや、その未遂の現場でわたしを支えてくれていたその人たちの話を

 

約4年越しに聞く事になったのです。

 

 

 

無知による幸せは、知覚できないからこそ

 

有益に自身の体内にて処理されている機能なため、

 

制御できない性質、と、自らの主観が大きく要因する性質を

 

持ち合わせています。

 

死んでやろうかと思いました(笑)

 

正確には、あの時消えておけばよかったと

 

こんな未来を今ここで知る事になるのであれば

 

死んでおいた方がよかった。

 

そんな具合です。

 

 

 

この場合の死にたい気持ちは、

 

つらい現実から逃げるために作り出された、気持ち

 

なので、実際には行動するわけではないです。

 

でも、今の自分にとってそれが頭を支配して、

 

それだけが全てになる

 

現実であり、目の前の生きる課題になる。

 

だから、その一瞬だけでも、自分の目的を認知して、

 

素直に気持ちを吐き出していいと思ってしまう。

 

その素直さを共有できる人と、

 

もしかしたら添い遂げるだなんて

 

 

 

 

無知のままでいい。