【ぶっ殺すリストw】 | 【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

【実録・倒産社長の奮闘記】~こうして店は潰れた!~小林久ブログ

老舗スーパー三代目→先代の赤字1.5億円を2年で黒字化→地域土着経営で中小企業の星に→中小企業診断士試験に出題→最年少山梨県教育委員長→早過ぎたSDGs →2017年まさかの倒産→応援団がクラファンで3,000万円支援→破産処理後は全国の経営者に寄り添う日々

 

「月末までに2,000万円ないと会社が潰れる‼」普段顔も見せない税理士が飛んできた。近くにヨーカドーが出店し、安売りだけで対抗した先代社長の叔父は、すっかり意気消沈して寝込む始末。困った私は勇気を出して銀行の支店長を訪ねることにした。今まで人に頭を下げたこともない「なんにも専務」の私にはとても嫌な役目だった。

「いつでも困った時は来てください」と言ってたから来たのに、融資を頼んだ瞬間、温和なはずの支店長の目が鋭く光り、私を睨んでこう言った。「オタクに金を貸す銀行は無い。安売りばかりで銀行の意見も聞かなかった結果だ。自力でなんとかしなさい!」

あら〜、親にも怒られたことのない坊ちゃん育ちの私に向かって、いかにも坊ちゃん育ちの支店長が吠えた。せっかく頼みに来たのに…💧私は怒りに任せて帰ろうとした💢

それを見た支店長が私を呼び止める。
「小林君、もし今の社長に代わって君が社長になるなら融資してあげよう」 えっ?
(ヤッター、早く言ってよ〜支店長💕)
「わっ、わかりましたぁ〜🏃🏻」
喜んだ私は、寝込んでいた叔父を説き伏せ、相談する気もないのに叔父を「相談役」にして自らが社長に就任した。当時39才。一週間後、登記簿謄本を持参して、再び支店長を訪ねた。

私「支店長、言われた通り僕が社長になりました。だから2,000万円貸してください🙏🏻」

支店長「ほ、本当に社長になったのか?」

私「ハイ、月末まであと2週間しかありません、約束を守ってください、メインバンクなんですから🙏🏻」

支店長「私の一存ではどうにもならない。本部の決裁も必要だから、もう少し様子を見てから考えさせてくれ…💦」(ハシゴ外し?)

私「……(プチッ💢)」キレた…。「もう結構です!」このオヤジ、俺に嘘をついた!藁にもすがる思いで飛び回ってこれに賭けたのに。

悔しかった…🙇🏻💧
私は店に戻り、机にあったノートにこう書いた。


『ぶっ殺すリスト』


その筆頭に支店長の名前を刻んだ。
「今に見てろよ!必ず挽回してやる」

「貸さない優しさ」などという言葉も聞いたことがあるが、資金繰りに奔走している中小企業の経営者の心にはまったく響かない。
私はこんな金融機関とのやり取りをバネに頑張る経営者がいてもいいと思う。それは凄いパワーになる🔥そして人を強くする。

結局、月末の資金繰りは取引先の社長たちが、支払いを分割してくれて何とか乗り切ることができた。親戚にも頼んだけど誰一人貸してくれない。あれだけ「スーパーやまとの親戚だ」と言っていい思いをしてきたのに。

おかげでそれをバネに弊社は、破竹の勢いで業績回復して1.5億の赤字を2年で黒字にした。血の滲むような努力だったが、所詮今では負け犬の遠吠えである。その様は中小企業診断士の試験問題になるくらいの改革だから、我ながらよくやったと思う😅💦
私は2年後、その地銀との取引を辞めて「落とし前」をつけた。

もちろん金融機関にも言い分はあるだろう。
私が融資担当でも貸さなかったと思う (笑)
支店長と親しくても、銀行の勉強会に行っても、若手経営者の会に所属しても、貸してくれない時はどこも貸してくれない。
皆さんも同様の経験がないだろうか?
そうなる前の準備が大切ですよ!ってことを言いたかったんです(^_−)−☆ 昔話でした。