彼のお墓に共通の友人と行ってきた。

お墓のことは積極的に考えてなかった彼。

そりゃそうだよね。

考えたくないよね。

ある日突然の3ヶ月の余命宣告。

病状の急変。


彼の意向をすべて取り入れてないお墓が私は好きではない。

永代供養の区画にある墓石には、いい人生でした、来てくれてありがとう、と文字が並ぶ。

彼のお墓はシンプルに苗字だけ。

やっぱり無理だ。

私はまだ受け入れられない。

早過ぎるよ。


それでも、荒天予報の天気は雨足が早まり、曇り空に。蝶も蜂も舞う。

歓迎されているかのよう。

綺麗に掃除して帰ってきた。


知人とランチして帰る車中。

1人になると号泣してしまった。

しんどいな。

やっぱりしんどい。

会いたい。

話がしたい。

死別からある程度回復してもそう思う。

悲しいな。

引っ越しが決まった。

年末に必死に片付け。

職場も異動し、家も仕方ない理由ではあるが変わる。彼の思い出がどんどん薄まっていく。

もううんざりだ。

父には彼女ができて帰省時に会った。

周りはみんなパートナーがいる。

私だけが孤独。

別にパートナーが欲しいわけじゃない。

亡くなった彼に会いたい、ただそれだけ。


おせちを作り、次女の受験に備え北野天満宮にお参り。長女は巫女バイト。

表面上は、穏やかに笑うお正月。

でも神社でお祈りする私の中身は空虚なだけ。

願いは何もない。

人はみな死ぬのに。

どうして頑張らなきゃいけないんだろう。

だからこそ一日一日を大事に生きなきゃならないんだと言う人は、みんな幸せな人たちに見える。

そんなことはないんだろうけれど。


12月に西表に行った。

風が強くひたすら寒いだけのオフシーズン。

蛍が光っていた。

自然だけが心を落ち着かせてくれる。



何をしても何を見ても虚しい。

それでも動いて一つ一つこなしていく。

痛みがない体があるんだから。

彼の闘病中、

あれだけ色々なことがあったのに、

思い出すのは、腹水が溜まり痩せ、

抗がん剤の影響で痺れた手で

私の荷物を持ってくれる彼の姿。

持たせて、と。


負けないから。

今はそれだけ。

神戸

能登ボランティア→福井

熊本

静岡

と10月は毎週末予定がある。

能登では70代男性のお二人が泣いていた。

伝統ある棚田が流されて修復できる頃には歳を取りもう米を作ることは難しいだろう、と。

私も涙ぐみながら話を聴く。

泥まみれで手刈りで稲刈りしたあと。

また来ます、と来年のお手伝いの話をしながら。


まさか私がその年齢まで農家でいられる健康な体を持ち生きていること、そのそばに奥さんがいることを羨ましがってるとは思わないだろう。

もちろん私の涙も嘘じゃない。

天災に2度も襲われたら心は折れる。辛すぎる。

でも羨ましい。

命さえあればやり直せる。

愚痴を言える奥さんもいる。

人の心は簡単じゃない。

最近彼を感じない。

成仏したのかな。

嬉しいけど悲しい。

全てにやる気は出ない。

旅依存状態だ。

海だけが心を慰めてくれる。