長岡駅から徒歩15分ほど、藩主牧野家~長岡藩ゆかりのお寺です。
入口に長岡藩知名士の墓、とありました。
それにしても、長岡市街の印象が「赤茶」。
融雪水の錆の影響のようです。雪のない季節に豪雪地帯がこんな風に感じられるとは。
さて、
入って行くとまず、北越戊辰戦争招魂碑
本堂横には親切な案内板がありました。
小千谷会談に唯一ついて行った二見虎三郎など長岡藩士の小さなお墓、牧野家代々の立派な墓域がありました。
奥に河井家のお墓。
この様に目立つ石碑があり示してくれているのですが(結語が『であります』と長州言葉なのがなんと言うか)、継之助の墓碑は分かりませんでした。左下のかと思いましたが「先祖代々」とかいてあったような。それに隠れててっぺんが少しだけ写っている墓標のようなものだったのかもしれません。
それだったら確かにボロボロ。
ただ、恨みを持つ人の墓標であっても日本人のメンタリティとしてそれを鞭打ったり、壊したりするのはあり得ないんじゃないかと思ってます。
当然明治初年に立派な墓を建てることはできなかったでしょうから、粗末なものにした結果風化が早かったのを後世そういう話にしたのではと思ってます。
1つ大事な所にお参りするのを逃したのにこれを書いてて気付きました。
ここにはちゃんと”西軍”兵士のお墓もあるのでした。案内板の⑦。
また来る時の宿題ですね。