階段を下りて東へ約30m行ったところで

同じような階段を上ります。

位置関係ややこしいのでGoogleマップのお力拝借。

 

少し開けた所で先ほどと同じ碑。

 

結局、北条義時公の墓碑があるわけではありませんでした。

法華堂にお墓があったのでこの一帯がお墓ということ

みたいです。

 

お堂の建物跡を示すものがありました。

 

代わりという訳ではないですが、洞穴(やぐら)には

三浦泰村以下三浦一族の墓。

義時の良き理解者風に上手く立ち回っている三浦泰村

ですが・・・

説明板には「鎌倉殿の13人」の史実バレが書いて

ありますので注意。

 

先程の写真で小さく見えた鳥居の所からまた階段ですあせる

 

上った所に3つのやぐら。

中央、大江広元墓。

 

向かって左、毛利氏の祖・毛利季光墓。

 

右、島津氏の祖・島津忠久墓。

また少し下りてから上らないといけないので、

そのまま横からカメラあせる

『長州男児の肝っ玉』お見せできませんでしたあせるあせる

 

と、お分かりのように幕末権力を握った薩長の祖の

お墓が並んでいるのでした。

なので、ここを整備したのは幕末の薩長でしたひらめき電球

一気に650年の時空を超えた感じです。