文久3年から元治元年という幕末史が多くの非業の死を伴いながら次の段階に進む第4巻!

 

 

序盤、「京都留守居役」の重要性と活躍を解説した一節、

長州藩の桂小五郎、薩摩藩の大久保一蔵、会津藩の外島機兵衛、一橋藩の渋沢栄一、などがその代表的存在であろう。土佐藩では・・・武市半平太・・・

渋沢栄一が錚々たる面子と肩を並べていたのでしたひらめき電球

(会津藩の方は知らない汗

 

土佐藩は山内容堂が実権を取り返し、勤王党の弾圧が始まります。

次々と土佐人たちの見事な切腹。

その作法・様(さま)も折々詳しく解説されています。

 

この4巻は切腹も1つのテーマだったのだと思います。

いよいよ武市半平太の段になり、『筆者は、』で書き出された一節に込められます。少し長いですが書き留めて置きたいので。

 筆者は、日本人に死を軽んずる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖を、それをおさえつけて自在にすることによって精神の緊張と美と真の自由を生みだそうとしたものだと思う。その意味で切腹はそのあらわれにすぎないが、その背後には世界の文化史のなかで屹立しているこの国の特異な文化がある。その是非を論ずるのではない。ある、ということを知るだけでよい。

 

そして、武市半平太の切腹。

この描写はしっかり覚えていました。

基本観なかった「龍馬伝」でも、この回だけは狙って観ました。

大森南朋さん良かった拍手

 

この時死を迎えた者、後に爵位まで得た者、生き延びたものの官途に就かずひっそり暮らした者、土佐人たちのそれぞれの生き様も印象深いです。

 

土佐以外では、

清河八郎の死、

天誅組の壊滅、

薩摩勢力の後退からの挽回~八月十八日の政変~七卿落ち、

長州は更に無謀な攘夷(馬関海峡の砲撃)

と目まぐるしく情勢は変転しつつ

竜馬は蒸気船をとうとう手に入れ、

熊本で横井小楠との問答。

 

明治になってからの横井小楠の暗殺の経緯で完。