京都旅に戻って、

四条大宮でバスに乗り換え更に30分東へ。

 

幕末、会津藩の本陣となった金戒光明寺に行きました。

 

門には「京都守護職本陣」の表札。横には会津藩殉難者墓所の碑。

 

いつか来ねばならなかった所です。

 

少し進むと山門!

でかい!

 

内側からも山門を見ようと振り返ると、

京都盆地が一望!

 

この大寺院にこの立地ひらめき電球

1000人と言われる会津藩兵を置くのに相応しいのが良く分かりました。

 

そんな感じで160年前に思いを馳せながら本堂を過ぎるとひらめき電球ひらめき電球

熊谷直実 鎧掛けの松!

 

 

一気に800年前へ飛んで行った感じですアップ

これが京都旅の醍醐味にひひ

 

平敦盛を討った後ここで出家したのでした。

 

なので、直実、敦盛2人の供養塔が対をなすように法然上人廟の前にあるのでした。

現役の(?)お墓が写ってしまうので写真は自粛。

境内にあった案内図を代わりに。

 

織田信長が好んだことで有名な『人間五十年・・・』はそもそも熊谷直実の台詞・・・と思っていると、

お江さんに春日局の供養塔まで!

 

この頃になると、かなり足にきてましたが、そこまではお参り。

更に丘の上にある会津墓地までは行けませんでした。

情けない汗

 

お江さんへの登り口にあったのが、五劫思惟佛という阿弥陀さん。

気の遠くなる程の長い時間思惟をこらしていたのでさすがの螺髪も伸びてしまったとか。

アフロ仏とか言われているそうです。

 

私の場合はアフロより、「聖☆おにいさん」でブッダの髪が伸びて散髪する話を思い出して吹き出しそうになりました。

 

因みに、「聖☆おにいさん」では、いくら伸びても螺髪の見た目は変わらず密度が上がるだけ。なので放っておくとブラックホールになり地球を滅ぼしてしまう、とのことでしたw

 

歴史ある寺院の奥深さを堪能しました。

会津墓地はまたいつか必ず。