桶狭間古戦場と言えば、『桶狭間古戦場公園』と思って
最寄りの中京競馬場前駅に来たわけですが、
駅の近くに『伝説地』なるものが。
胡散臭さに警戒しつつ(失礼!)、一応寄ってみることにしました。
すすと、本当に失礼でした。
現地ガイドさんも居る立派な、そしてむしろこちらが古戦場中心地と
思うに至りました。
(碑には『伝説地』とは書かれて居ません)
ガイドさんにお願いして説明をしてもらいました。
江戸時代に今川家旧臣の子孫が碑を建てたのが
ここの始まりだそうです。
いろいろ書いてますが、「油断した」のが敗因とあるそうです。
頂いたパンフにも戦いの様相が詳しく書かれています。
この辺りは平野ではなく、小高い山が複数あり
くぼ地が点々とあります。(それを狭間というのか?)
この伝説地は義元本陣が移ってきた所で、
義元とその家臣が討たれた所と言われています。
家臣の塚
義元のお墓(とあるけど、碑と言うべきか。
首は織田方が持ち帰り、胴は豊川に葬られたはず)
江戸時代と言っても戦いから約200年後。
真偽のほどは不確かな部分もあったでしょう。
そして、実はここは”田楽狭間”
整理すると(あくまでも私の頭の整理であって、
説という程のものではありません)
・2万5千人とも言われる今川軍は桶狭間周辺に分散していた。
・桶狭間(今の古戦場公園)で比較的大きな戦闘があった。
ここでは今川方が勝った。
・義元本陣は田楽狭間(今の伝説地)に5千程で布陣
・ここに織田本軍(約3千?)が急襲
”桶狭間”の戦いと命名したのが間違いだったのかなあ。
もう少し広い地域名を冠するべきだったか
やっぱり現地に来ると得るものがありますね