「グリコ・森永事件」に続く第2段。
特に、地下鉄サリン事件は、まさに渦中に居たので、
感慨深い。
1995年3月20日・・・
再現ドラマにあった通り、阪神・淡路大震災が1月に
起こったばかり。
地元の友人何人かとまだ連絡が付かないのもあり、
『神戸の大学(第2志望だった)に行っていたら
自分は死んでいたかも知れない』
という思いが募っていた時でした。
この日たまたま部活の練習試合だったので、
いつもより早めの早めに電車に乗ることに
したのでした。
綾瀬~代々木上原
と、千代田線の端から端まで乗って
コートのある遠い方のキャンパスへ。
(綾瀬駅では実行犯の一人に会っていたに
違いない・・・)
未明まで雨が降っていたので、
(なので、サリン実行犯が傘を持っていても
不自然ではなかったのでした)
テニスコートが乾くまでしばし待機。
すると、ヘリがやたら上空を飛び回り始めた。
寮に戻っていた友人が「地下鉄で大変なことが起こった!」
と教えてくれた。
サリン-オウムであることが分かるまでは、
いろんな噂や流言があった。
私が行っていた大学も疑われて、
しばらくマークされていたらしい。
一方、当時私はいよいよ専門的に有機化学の研究を
始めた所でした。
指導教官は、有機リン化学の第一人者。
なので、研究室ではサリンやVXの原料に囲まれていたし、
取材の電話がよく掛って来て、それを取り次いだものでした。
あの時、早めの早めに千代田線に乗っていなかったら・・・