私は三島由紀夫は好きではない。
しかも「サド侯爵夫人」などというテーマはゴメンだ・・・といつもなら避けていた舞台です。
なのに珍しく見たいと思ったのは、宮本亜門さんが演出で、成宮寛貴・東出昌大というSNSを騒がせた上、しばらく芸能界から消えていた人たちと組んで、男性6人で女性だけが登場する舞台をすると知ったからです。
そこにどんなメッセージがあるんだろう?
2時間あまりの舞台を、6人の役者がしゃべりに喋っていました。
昔の日本の丁寧な言葉のもつ響きの美しさと、リズム感のある台詞回しが心地よく、ずっと引き込まれて最後まで見ることができました。大成功の舞台だったと思います。
面白かった。
サド侯爵夫人ルネは夫が乱行や暴行の罪で牢獄に入れられても、「私は彼の貞淑な妻です」といい続け、母親が別れるよう勧めても決して別れようとはしません。
それどころか、彼を庇い、彼の正当性を信じ続けています。
サド公爵は19年という長い間、牢獄に入れられたままでした。
ルネはずっと彼に会いにいき続け、彼の貞淑な妻であり続けます。
彼は牢獄の中でも、背徳的な小説を書き続けています。
時は流れ19年経ち、フランス革命が起こります。
価値観がすっかり変わろうとしている。
そこにサド侯爵はある小説を書きました。
それを読んで、ルネは夫が自分をどのように見ているか気づくのです。
悪徳を貫く姉は幸せになり、美徳を守り続ける妹はどんどん不幸になり死んでいく。
それを読んでルネは気づくのですね。
夫サドが悪徳の象徴であり、自分が美徳を守っている側の人間だと。
そこで彼女からパタっと落ちていくものがあります。
ずっと守り続けてきた「貞淑な妻」です。
彼女は、19年経ってようやく牢獄から出てきた夫に会いもせず、会うことを拒否し、自身は尼僧になる決意を固めるところで終わります。
けれど、舞台はそんなに単純ではありません。
三島はルネにこう言わせています。
「自分たちは、彼(サド公爵)が作り出した世界にいる」と。
舞台のことを書いておきます。
6人の女性たちを男優だけで作ったのは大成功でした。
女性にも男性にも偏らず、さりとて中性的でもなく、人という存在そのものとして見ることができたところがとても良かった。
だから、登場人物6人が際立って、人として迫ってきました。
面白かったのは三浦涼介・大鶴佐助という私が知らない役者さん二人が素晴らしくうまく、対照的な女性を「女性的に演じていた」のに対し、東出昌大・加藤雅也の二人の役者はそこまで女っぽく演じるのではなく男性性も残していると感じたことです。
演出の亜門さんはそこをどう考えられたのでしょうか?
私は、どちらかに寄せようとは思わなかったということなのだと解釈しました。
役者たちが舞台上でいきいき存在感を持って演じていること、膨大なセリフを体の奥から発すること、それらの方が大切だったのではないかしら・・と。
だから、全員が生きていました。
サド侯爵夫人役は成宮寛貴さんでした。
みんなが黒い衣装なのに、彼だけは真っ白。
しかも、襟は立って前はぴったり詰まっていて、まるで修道僧のような衣装でした。
貞淑な妻という言い方にぴったりの衣装です。
けれど、最後の最後に、ルネは全て脱ぎ捨ててしまいます。
舞台上で成宮さんは後ろ姿ですが、全裸になって 光の当たるところで立ち尽くしていました。
とても象徴的な終わり方でした。
濃厚なのに重くなりすぎないのは宮本亜門さんの個性かなと思います。
きっと人を信じ、人の持つ力を信じ、美徳も悪徳も持ち合わせた私たちの存在そのものを愛している人なのだろうと思ったのです。
大成功の舞台でした。
見にいけて良かった。
一晩経って、今朝一番に思うこと。
宮本亜門さんの懐の深さと そこから滲み出る「人への愛情のような温かいエネルギー」です。
そして、そこに6人の役者さんが全身全霊で応えていました。
素晴らしい舞台でした。
嬉しい出会いになりました。





