先日自己洞察を意識(内観視)する勉強会がありました。
自分が置かれている状況、TPOによりどんな自分で構成されているかパーセンテージで表そう的な。
※実はぱんなはこの主旨がうまく理解できなかった・・・。
その%の項目↓↓↓
・変態な自分
・真面目な自分
・楽しむ自分
・怒る自分
・冷酷な自分
・愛に満ちた自分(←個人的にこの項目がうさんくさくて萎える)
例えば、職場ではそれぞれの項目がどのくらいの割合なのか?
家庭ではどんな構成になっているか?
そんな自分を内観し、参加者とシェアするという内容。
ぱんなが前々から感じていることなんだけど、この支援所はやたらと「変態」という単語を使いたがる。
そして、決まってこの単語が出ると、参加者は下ネタにフォーカスされる。
よほど変態に苦しむ人が多いのか?
それともこのセンター長が痛苦い体験をしたのか?
それにしてはセンター長の変態ネタを聴いても「たいしたことはない」というのがぱんなの感想なので、前者にフォーカスしているのか?
今回の参加者は男性4人?女性はぱんな一人だったせいもあり、みなさんはぱんなを下ネタで動じる女ではないという認識なので、(たぶん)まー、、、ファンタジー満載の下ネタを披露してくれる。
「おれのビバ☆変態なところ」
1周回ってぱんなの披露する番になりました(笑)
ぱんな:「私は自分を変態だとは思っていません普通です」
男性A:「好きな人のパンツを臭いたいとかないんですか!?」
ぱんな:「好きな人のパンツを臭いたくて臭うのは普通、それを我慢する方が変態」
※ぱんなにはそんな性癖はありません(念のため)
男性B:「なんか、かっこつけちゃうんですよねー」
ぱんな:「かっこう付けるのは変態」
ぱんなは自分は普通だと思っているので、仮に他人がぱんなを「あなたって変態よね」と言うと、「と、いうことはぱんなから見たあなたも変態なんでしょうね」と答える。
そもそもに変態と言われてぱんなの脳裏にパッと浮かぶのは
マラソンランナー。
これはもう変態でしかない。
その次はアスリートとか。
そういう意味で言うと今話題の大谷翔平は生粋のド変態だとぱんなには映っている。
変態=普通と違う という意味で。
な~んていう話しをしました。
そして、ぱんなはいつも真面目なので、%で表すと100%
なんなら無添加100%と答える。
こんなネタにも大真面目に答えている。
楽しむ自分は80%
残りは楽しみの中でのリスクマネジメントで20%を確保している
怒る自分は、日常の中では0~5% 怒ることはほぼない。
冷酷な自分・・・これなぁ~~~
ぱんなは冷酷だとは思ってないんだけど、なんせ周りからは「冷たい」「何を考えているかわからない」「きつい」という評価を強く言われているので、回答としてはちょっと自信がないところ。
他人がなにをしようがその人の勝手・自由だと思ってるし、ぱんなには関係ないと思っている。
たぶんそういう姿勢が「つめたい」と言われるところなんだろうけれど、補足として続けると他者への尊重やねん?と。
基本手出し口出しはしないので、手出し口出し、共感を求める人には物足りなくて、冷たい人間に映るのではないだろうか?というお話も。
愛に満ちた自分については、愛がわからないので、0%
愛はなくてもぱんなはそこそこ満たされた人生を送っている。
=他者とは最低限しか関わってないという平和。
期待もしない平穏
夢も希望もない静寂がなによりも贅沢な時間だと思う。
周りで湧いていたWBCにのっかることもなく
夢や希望や目標に向かって熱くなることもなく、それがそんなに素晴らしいことだとは思わない、だって、ただの変態だから(笑)
植木に向かって「みんな変態だねぇ」と静かに過ごすぱんなは周りから見たら「変わった人」なのかもしれないけれど、「どっちでもいい」と思うのであった。