以下、読売新聞より引用
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名古屋の高2少年「医者になりたくて東大目指していた」…東大前で3人切りつけ
1/15(土) 19:21配信
読売新聞オンライン
現場付近の路上を調べる警視庁の捜査員(15日午前11時28分、東京都文京区で)=三浦邦彦撮影
東京都文京区の東京大学前の路上で受験生ら3人が切りつけられた事件で、警視庁に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された名古屋市の私立高校2年の少年(17)が、「医者になりたくて東大を目指していたが、成績が落ちて悩んでいた」と供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。警視庁が詳しい経緯を調べている。
【地図】東大農学部正門付近…「何が起きた」「怖くてたまらない」
警視庁幹部によると、少年は15日午前8時半頃、文京区弥生の東大農学部正門付近の歩道で、都内の別の私立高校に通う千葉県市川市の女子生徒(17)と同県浦安市の男子生徒(18)を刃物で刺し、殺害しようとした疑い。
少年はこの直前、近くの路上で豊島区の男性(72)も刺していた。3人はいずれも背中を刺され、高校生2人は軽傷、男性は重傷を負った。少年は刃物について、「自宅から持ってきた」と説明しているという。
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ネットニュース見る限り、愛知県のTOP私立進学校で、東大や医学部合格全国上位の学校の生徒さんのようですね。
学年で中の下くらいの成績で担任から頑張らないと厳しいとの励ましがあったとの報道もあります。
そこの進学校は一学年400人とのことなので、250から300番くらいでしょうかね。いくら国公立医学部合格実績トップ高校でも、この成績であくまでも現時点でを強調したうえで伸び代は考慮せず、判断するなら東大医学部は厳しいでしょうね。
親の子供に対しての職業観・職業教育が残念ながら失敗した、場合によっては毒親として子供の職業観・職業教育をせずに「これしかない」としてしまい、東大医学部・東大理三に進学し医者とならずんば職業にあらずとお子さんと人格形成していったのでしょうかね。
正直、医師免許とるための受験生を要請するのが医学部であり、医師国家試験合格すれば医者になります。どこの大学でもいいのですが、そこは大人の事情があり、学閥だったり、学位の箔であったり、はたまた博士号の威厳であったりと、大学のランクがまあのちのちついて回る世界ではあります。
その進学校行って普通に勉強していれば、どんなに成績悪くても最悪2~3浪すれば、私大の医学部いけると思うのですが。もちろん私大の医学部も普通に難しいですよ、お金もすごいかかりますよ。ただ、三流地方私大の博士課程出身のおバカな自分なんかより、はるかに17歳の時点で勉強できているし、東大医学部という日本全国の大学受験業界でTOPオブTOPの勉強できる人たちが行くようなところ以外ダメってしなければ、まだまだ医者も目指せるし、進路変えて理系なり、はたまた文系なりって行けるでしょう。東大ブランドがよければ、別の学部受験もいけるのではと思いますが。
今の若い子はコスパ重視で失敗をしたくないという思いが強いというのは聞く話です。浪人などの不確実性はいやだったのでしょうかね?
17歳18歳の人生判断が、完ぺきということはないでしょう。回り道もあるし、場合によっては後退するという判断もありということを親が教えないといけないのだろうなと思います。
東大で人を殺して、死のうとまで思い詰めることを自ら高校生が自分の進路設定でかせるのかといえばNOだと思います。ほぼ、親だと思います。親の期待、言う言わないはあるにしても、親の望んだ進路に進み、望んだ職業につく、そういう役回りを親が望んで、それをその子は演じていた。最難関の私立進学校にも行けた。東大の医学部にいけるはず。でも、成績が伸びない。他のできる子との差はつくばかり。というようなところかなと。
人生はやり直しがきくし、本当に頑張れば、大学に行かなくてもその途のプロになれます。あくまでも、本人が頑張るという前提が必要ですけど。
自分も振り返って、たいして考えもせずに普通科高校進学、で私立文系コース選択。
理由は高校の数学ついていけなかったから。笑 しかも、ついていこうという気もなく勉強もしなかったなと、今思う。もっとこの高校時代に勉強していれば理系という進路もあったのではと、今振り返って思う。
経済学部も、地元の三流私大の文系学部を片っ端から受験して唯一経済学部にだけ合格したから進学。一応、もう少し偏差値の低い四流大学も合格したがそれも経済学部。
大学4年生の時には就職超氷河期。2個上の先輩あたりから就職難が始まり氷河期といわれだし、年をおうごとに求人や新卒募集が激減し状況は悪化する一方で超氷河期とまで言われる。仕方がないので就職浪人もできず、とりあえず浪人にならないように大学院に進学。もっと経済学の勉強したいと思ったのも半分ありますよ。就職できなかったのと勉強したいと思ったの半々で院進学。
大学院の研究室は文系経済学部なのに、数理系研究室のため進学後に死ぬほど数学をさせられる。いわゆるアカハラな教授のため、発表形式で数理証明を授業までにやってきて発表するのだが、できないとできるまで黒板の前で立っておく。もちろんアカハラのため絶対に教えてくれない。自分で証明しないといけない。90分講義で、証明間に合わないと途中で発表停止。授業のチャイムが鳴るまで無言で演壇に立ったまま・・・。あの時代だからできる技。いまやると確実にアカハラで教授処分ものですね。研究室のメンバーは必死で数学やって、助け合ってやりましたよ。ほんと。メンタル病みます。みんな。授業の直前はみんな落ち込んでます。
こんな過酷な状況をのりきったおかげで、人間は勉強を本気ですればわかるようになると経験。数学がわからないのではなく、自分が分かるようになるまでしないだけなのだと理解する。(それ以後は、学問においてわからないものはない。わかるようになるまで勉強しない本人の問題と認識する。)
就職超氷河期だったが、大学院在学中に就職活動しながら、一応正社員で地元に事務系で採用。その後も転職も地元でもう少し規模の大きいところに事務系で転職。
いつの間にか、施設管理の仕事をさせられ、気が付いたら工学部建築学科なり、機械学科なりを卒業していなければ受験できない資格を受験できるようになり目指そうかとなる。
建築設備士とれたから、一級建築士受験できるようになったし、がんばって受験してみようかという気になる。
理系最高峰の技術士だって実務経験7年たまったので受験資格発生したので、がんばって受験してみようかという気になる。
ふつうは、建築の専門学校に2年行って受験資格をとったりとなるのだろうが、実務経験のみの完全独学でもやってこれた。
正直、こんな人生になるとは思ってもいなかった。17歳、18歳で思い描いた人生では全くない。でも、職業人としてはそれなりにやってこれたし、自分なりには仕事をある程度残せたと思うし、今後も自己研鑽をしてなにがしかやっていきたいと思っている。
事件を起こした彼には、ここまでの事件を起こす前の悩んでいた時に、この言葉を親は贈るべきだろう。
「人生万事塞翁が馬」
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故事ことわざ辞典 より引用
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。
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人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえだが、その17歳で東大医学部に合格可能性がないとしても、その先はどうなるか誰もわからない。
ただ、自分なりに努力と勉強をコツコツしていれば、それを見てくれている人は必ずいて、評価してくれる時がいつか来る。ダメだと投げずに続ければ、いまが不幸だとしてもそれは後々に幸になるかもしれない。
将来が東大医学部卒の医者じゃないかもしれない。でも、いいではないか。
17歳18歳で選択した、大学の学部で一生決まるものでもない(と、言いながら理系の場合は進む道が学部で狭まるので、ある程度考えたほうがいいと思うが。しかし、自分は文系で建築設備系に無理くり進路転換できているので、程度問題で社会に出ればどうにかなるもの。)
人生間違えたと思えば、やり直せばよい。
日本社会は、社会人になった後は実務経験なるものさえ一定の期間得ることができれば、その国家資格の受験資格が発生するものだ。そして、きちんと勉強すれば独学でも合格できるのだ。大学や学部は関係ないのだ。ましてや、大卒高卒も関係ない。理系だの文系だのも関係ない。その国家資格の範囲の知識と経験を習得さえできればよいのだ。
理系、文系の別なく士業と呼ばれるものは、それだけで仕事として食べていけるものが多い。場合によっては、学歴・実務要件すらないのもある。
それを取得することが出来れば職業すらも大きく変えられる。
要は本人次第なのだ。ましてや、そんな日本のトップの進学校に合格している子が、勉強すれば、本気になって取り組めば東大医学部以外で能力が発揮できないわけがないと思う。
他人を刺したり、放火する理由にはならないのだ。
自分は、そう思う。