2007年の1月、東京都渋谷区で21歳の予備校生が20歳の妹を絞殺し、遺体をバラバラにするという酸鼻きわまりない事件が発生した。
 事件の陰惨さは言うまでもないが、さらにおぞましかったのは、その後の報道であった。
 『妹の遺体は兄の唾液でベトベトだった』
 『兄は妹の乳房と陰部を切り取り、それを食べた』
 このような性的、猟奇的な趣味の、まったくの作り話が広く全国に報道され、捜査当局はわざわざこれを否定する会見まで開いたほどであった。

 近年、まことしやかに囁かれる都市伝説のたぐいには、ファーストフード店にまつわるものが多い。
 『某チェーンのハンバーガーには、“ミミズ”の肉が使われている』
 『某チェーンでは、より効率的に肉をとるため、遺伝子操作により生み出した四本脚の鶏を飼育している』
 特に後者については、昨今の“遺伝子組換え食品”に対する反発と結びつけられ、ネット上ではそれらしい合成写真をつけれてさかんに流布されている。
 「遺伝子組替え」とは自然の摂理に反し、神と生命への畏怖を忘れた唾棄すべき技術であるが、しかしこれは“魔術”ではない。そんな複雑な形態など作れるはずもない。

 人を殺してバラバラにする行為と、女性の陰部を切り取り口にする情景を脳裏に描き報道する行為の間に、その心根においていったいどれだけの差があるというのか。
 経済性を重視するあまり「遺伝子組換え」という禁忌すべき技術を駆使すること、人を陥れる為、あるいは自分の悪趣味を満足させる為に、おぞましい生物の写真を合成してみせること、これらの行為のどこに生命を愛し尊ぶ心が存在するのか。

 聖書の御言葉を引用したい。
 
 <マルコによる福音書 7章 14節>
 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
 「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」