臨月のお腹を守るよう、黒い聖衣を纏ったその女性伝道師先生は、礼拝堂正面の壇上に凛として立つと、その右手を高々と掲げ力強く祝祷を捧げた。
『主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりが、新しい歩みへと旅立つ私達一同の上に限りなく豊かにあるように。アーメン。」
その日、不在であった牧師先生に代わり、立派に礼拝を取り仕切った伝道師先生。 それを感謝し、祝福するかのようにステンドグラスを通した夏の日差しは堂へと溢れ、パイプオルガンの艶やかな音色が会衆一同を優しく包み込むのであった。
慈しみと力とに満ち満ちた、それはまぎれも無き“母の声”だった。
私が求道者(洗礼を受けないまま礼拝に参加する者)として現在の教会に通いはじめたのとほぼ時を同じくして、N伝道師先生が派遣されてこられた。
まだ二十代の女性である先生は、その時点で韓国人のKさんと婚約されており、その後すぐにお二人は結婚されたのだった。
正直、“何故、相手が韓国の方なのか”と最初は疑問にも思ったものだった。 しかし、一目Kさんとお会いしてからは、そんな疑問などたちどころに霧散してしまった。
Kさんは何よりも“澄んだ目”をしておられた。 心に一片の邪気も感じられず、今、在ることの全てをありのままに感受しようとする潔さをもった方だった。 彼らはすぐに、教会の皆から愛される存在となっていった。
彼と私はまた同時期に聖歌隊へと入隊し、それぞれテノールとベースに分かれご奉仕をするをこととなる。
澄み切って良く通るKさんの声に我が声を重ねることの心地よさを何に例えようか。 ただ天上の神のみを目指して発せられる、男女4パートが織りつづられて音楽へと昇華するその気高さ、美しさよ。
礼拝のたび、N先生ご夫妻とご一緒出来ることを、私は本当に嬉しく思っている。
朝の礼拝をご担当されたその日から、ちょうど一週間後の主日、N先生は元気な男の子をご出産された。 そしてその子は、韓国風のお名前でSちゃんと名付けられた。
こんなふうに神様と教会の皆から祝福を受けて誕生したSちゃんは、本当に“皆の子ども”なのだと思う。 皆で慈しみ、守り、育てていかなければならない子どもなのだと思う。
その二日後、ロンドン・オリンピックのサッカー競技において、日本との闘いに勝ち三位を獲得した韓国のある選手が、「独島は我が領土」と書いたプラカードを掲げて満面の笑みでフィールドを走りまわった。
領土問題が日本へと、これまで以上に大きくのしかかってきた瞬間だった。 あまりのことに私は言葉を失った。
外に向かい、どんなに思いの丈を叫んだとしても、神の存在や、あるいは場所を同じくする人々の息づかいを見出すことができなければ、そこは単なる“虚空”にしかすぎない。 人間の独善的な言葉のみが虚しく反響されるだけの廃墟でしかありない。 そんな場所に未来に通じる何かがあるとは思えない。
だから私は、いや私達はいまこそ自分の立場、考えを明確にし、ゆえに更なる敬意を持ってかの国と接するべきと考え、今、このブログを書いている。
竹島に関して、私はまず日韓両国より人を選出し、その『過去』について徹底的に検証すべきと思う。 島がアジアを含めた世界の中で、過去にどのような扱いを受けてきたのか。 どこの国が島のどこに何をなしてきたのかを、しっかりとした“客観的証拠”のみをもとに検証していく。 たとえ何年かかってもよいから、この作業を完遂すべきと思う。
これは“外交”ではない。 いっさいの斟酌は無用である。 「相手があそこで譲ったのだから、ここは当方が」などという駆け引きなど絶対にあってはならない。
途中で何が明らかになろうとも、お互いが相手に敬意をもって、ただただ冷静に事実だけを抽出していく。 “話し合い”とは違う。 これは“学術”である。 ゆえに互いに、その適任者を選出する必要がある。自分の言葉に酔いしれるような口舌の徒など、そこにいる必要はない。
これが済んだ後に、双方が国防上の問題も含めた『現在』についての主張をおこない、さらにその後、両国の『未来』について意見・希望を述べ合っていく。
この段階において私は、これまでのスタンスとは多いに矛盾することとではあるが、両国において島の共同統治を提案すべきと思っている。
外交でも駆け引きでもない。 このような理念のもと、総括的に世界全体と関わっていかなければ、今後は地球そのものの成り立ちが危ういという認識のゆえである。
過去に例がないのであれば、いまこそ我々がともに作り上げる時とも思う。
これまでの人生において、私はいつも逃げなかった。
だからいつも、いろいろなことの後始末をつけてきた。 過去には疲弊した会社を引き受け、これを葬りもした。
まぎれもなく皆の子であるSちゃんが、澄んだ目のままに育ち、やがて美しい歌声を響かせてくれる為に、私は今、自分に出来る限りのことしたいと思っている。
『主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりが、新しい歩みへと旅立つ私達一同の上に限りなく豊かにあるように。アーメン。」
その日、不在であった牧師先生に代わり、立派に礼拝を取り仕切った伝道師先生。 それを感謝し、祝福するかのようにステンドグラスを通した夏の日差しは堂へと溢れ、パイプオルガンの艶やかな音色が会衆一同を優しく包み込むのであった。
慈しみと力とに満ち満ちた、それはまぎれも無き“母の声”だった。
私が求道者(洗礼を受けないまま礼拝に参加する者)として現在の教会に通いはじめたのとほぼ時を同じくして、N伝道師先生が派遣されてこられた。
まだ二十代の女性である先生は、その時点で韓国人のKさんと婚約されており、その後すぐにお二人は結婚されたのだった。
正直、“何故、相手が韓国の方なのか”と最初は疑問にも思ったものだった。 しかし、一目Kさんとお会いしてからは、そんな疑問などたちどころに霧散してしまった。
Kさんは何よりも“澄んだ目”をしておられた。 心に一片の邪気も感じられず、今、在ることの全てをありのままに感受しようとする潔さをもった方だった。 彼らはすぐに、教会の皆から愛される存在となっていった。
彼と私はまた同時期に聖歌隊へと入隊し、それぞれテノールとベースに分かれご奉仕をするをこととなる。
澄み切って良く通るKさんの声に我が声を重ねることの心地よさを何に例えようか。 ただ天上の神のみを目指して発せられる、男女4パートが織りつづられて音楽へと昇華するその気高さ、美しさよ。
礼拝のたび、N先生ご夫妻とご一緒出来ることを、私は本当に嬉しく思っている。
朝の礼拝をご担当されたその日から、ちょうど一週間後の主日、N先生は元気な男の子をご出産された。 そしてその子は、韓国風のお名前でSちゃんと名付けられた。
こんなふうに神様と教会の皆から祝福を受けて誕生したSちゃんは、本当に“皆の子ども”なのだと思う。 皆で慈しみ、守り、育てていかなければならない子どもなのだと思う。
その二日後、ロンドン・オリンピックのサッカー競技において、日本との闘いに勝ち三位を獲得した韓国のある選手が、「独島は我が領土」と書いたプラカードを掲げて満面の笑みでフィールドを走りまわった。
領土問題が日本へと、これまで以上に大きくのしかかってきた瞬間だった。 あまりのことに私は言葉を失った。
外に向かい、どんなに思いの丈を叫んだとしても、神の存在や、あるいは場所を同じくする人々の息づかいを見出すことができなければ、そこは単なる“虚空”にしかすぎない。 人間の独善的な言葉のみが虚しく反響されるだけの廃墟でしかありない。 そんな場所に未来に通じる何かがあるとは思えない。
だから私は、いや私達はいまこそ自分の立場、考えを明確にし、ゆえに更なる敬意を持ってかの国と接するべきと考え、今、このブログを書いている。
竹島に関して、私はまず日韓両国より人を選出し、その『過去』について徹底的に検証すべきと思う。 島がアジアを含めた世界の中で、過去にどのような扱いを受けてきたのか。 どこの国が島のどこに何をなしてきたのかを、しっかりとした“客観的証拠”のみをもとに検証していく。 たとえ何年かかってもよいから、この作業を完遂すべきと思う。
これは“外交”ではない。 いっさいの斟酌は無用である。 「相手があそこで譲ったのだから、ここは当方が」などという駆け引きなど絶対にあってはならない。
途中で何が明らかになろうとも、お互いが相手に敬意をもって、ただただ冷静に事実だけを抽出していく。 “話し合い”とは違う。 これは“学術”である。 ゆえに互いに、その適任者を選出する必要がある。自分の言葉に酔いしれるような口舌の徒など、そこにいる必要はない。
これが済んだ後に、双方が国防上の問題も含めた『現在』についての主張をおこない、さらにその後、両国の『未来』について意見・希望を述べ合っていく。
この段階において私は、これまでのスタンスとは多いに矛盾することとではあるが、両国において島の共同統治を提案すべきと思っている。
外交でも駆け引きでもない。 このような理念のもと、総括的に世界全体と関わっていかなければ、今後は地球そのものの成り立ちが危ういという認識のゆえである。
過去に例がないのであれば、いまこそ我々がともに作り上げる時とも思う。
これまでの人生において、私はいつも逃げなかった。
だからいつも、いろいろなことの後始末をつけてきた。 過去には疲弊した会社を引き受け、これを葬りもした。
まぎれもなく皆の子であるSちゃんが、澄んだ目のままに育ち、やがて美しい歌声を響かせてくれる為に、私は今、自分に出来る限りのことしたいと思っている。