獅子と呼ぶに相応しく、大きくカールさせた銀髪と同じ色に伸ばされた顎髭が、その端正な顔立ちの周りを取り囲んでいる。 眼光はなお鋭く、しかし時おりのぞかせる笑顔は、赤子のそれを連想させもするのだった。
弓町本郷教会の聖歌隊指揮者、F氏。
齢85歳、オルガン歴は実に70年を数え、63年に渡り本教会の聖歌隊を指導してきた先生である。 十数年まえの病により、左半身の麻痺が続き、現在も車椅子の上から指揮棒を振る。
いつもと変わらぬ黒いスーツに身を固めたF氏は、しかし明らかに感情を昂らせている様子だった。 声楽指導者であるN夫人によると、氏は前夜に体調を崩し、ほとんど一睡もせずに礼拝前の練習を指揮しているのだという。
だが上気させたその表情からは、体調が思うようにならない苛立ちとは全く別の種類の恍惚が、何故だか読み取れたのだった。
礼拝堂での調整の後、別室にてコンサートで歌う曲の練習が始まる。 広さ20畳ほどの集会室に男女交え30人程の聖歌隊員が長机を囲み、お互いの調子を観察し合いながらの合唱となる。
N夫人の指導により箇所箇所を直しながら一曲を終えたところで突然、F氏が感極まったような感じで語りはじめた。
『貴方がたは何年、私がここで指揮しているかを知っていますか。 昭和23年に指揮を始めて以来、今日ほど多くの隊員が集まったことはない。 今、私の心臓は嬉しさのあまり高く速く、鳴っているのです。』
その日の人数はソプラノとアルトの女性陣が20名強、特にテノール、バスの男性陣の人数が8名と、確かに充実していた。 もっとも少ない時期の隊員数は5名であったという。 そして弓町本郷教会聖歌隊の創設は明治30年にまで遡る。
二曲目が終わったところ、F氏がまた同じ質問をしはじめた。
『貴方がたは私が何年・・・』 何よりも練習を優先させたいF夫人が、さすがに「さあ、先に進みましょう」とこれを遮る
その時、獅子が吼えた。
『黙れ! 俺が指揮者だ! 口を挟むな!』 それから一転、表情をほころばせながら、先ほどと同じ言葉を訥々と語りはじめるのであった。
信仰のもとに風雪を耐え抜き、聖歌隊の有り様に精霊の働きを感じ取った獅子が、いま吼えた。
弓町本郷教会の聖歌隊指揮者、F氏。
齢85歳、オルガン歴は実に70年を数え、63年に渡り本教会の聖歌隊を指導してきた先生である。 十数年まえの病により、左半身の麻痺が続き、現在も車椅子の上から指揮棒を振る。
いつもと変わらぬ黒いスーツに身を固めたF氏は、しかし明らかに感情を昂らせている様子だった。 声楽指導者であるN夫人によると、氏は前夜に体調を崩し、ほとんど一睡もせずに礼拝前の練習を指揮しているのだという。
だが上気させたその表情からは、体調が思うようにならない苛立ちとは全く別の種類の恍惚が、何故だか読み取れたのだった。
礼拝堂での調整の後、別室にてコンサートで歌う曲の練習が始まる。 広さ20畳ほどの集会室に男女交え30人程の聖歌隊員が長机を囲み、お互いの調子を観察し合いながらの合唱となる。
N夫人の指導により箇所箇所を直しながら一曲を終えたところで突然、F氏が感極まったような感じで語りはじめた。
『貴方がたは何年、私がここで指揮しているかを知っていますか。 昭和23年に指揮を始めて以来、今日ほど多くの隊員が集まったことはない。 今、私の心臓は嬉しさのあまり高く速く、鳴っているのです。』
その日の人数はソプラノとアルトの女性陣が20名強、特にテノール、バスの男性陣の人数が8名と、確かに充実していた。 もっとも少ない時期の隊員数は5名であったという。 そして弓町本郷教会聖歌隊の創設は明治30年にまで遡る。
二曲目が終わったところ、F氏がまた同じ質問をしはじめた。
『貴方がたは私が何年・・・』 何よりも練習を優先させたいF夫人が、さすがに「さあ、先に進みましょう」とこれを遮る
その時、獅子が吼えた。
『黙れ! 俺が指揮者だ! 口を挟むな!』 それから一転、表情をほころばせながら、先ほどと同じ言葉を訥々と語りはじめるのであった。
信仰のもとに風雪を耐え抜き、聖歌隊の有り様に精霊の働きを感じ取った獅子が、いま吼えた。