大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
第16話~17話では源頼朝の命によって多くの人が亡くなりました
隙を見せれば自分がやられてしまう時代とはいえ 頼朝がどんどん嫌な奴にみえてきます!
源義高も命を落としたひとり
源頼朝と源義仲(木曽義仲)は同じ源氏ですが父親の代から対立しており
和解のしるしに義仲の嫡男・義高は頼朝の娘・大姫と婚約
11歳で人質となったのでした
しかし頼朝は義仲を討ち取った上 義高も亡き者にしようとします
それを事前に知った大姫側は義高を逃がすのですが 追手に捕まり討ち取られてしまいました
不憫に思った村人は祠を建て供養したと言います
後に北条政子はその場所に義高の霊を慰めるため社を建てました
それが埼玉県狭山市にある清水八幡宮です
建立当時は立派だったようですが 現在のものは昭和に建て替えられた小さなお宮さん
それでも平安の時代からこの土地の人々が守り続けてきたことが分かります
案内板には次のように書かれています
清水八幡には源義高(清水冠者義高)がまつられています
義高は源(木曽)義仲の嫡子ですが、源頼朝に人質として鎌倉に送られ 頼朝とその妻北条政子との間に生まれた娘、大姫の婿になっていました
義仲が頼朝に討ち果たされたのを知った義高は、自分にふりかかる難をのがれるため従者六人ばかりと共に祖父義賢(よしかた)の地(大蔵館)や義仲を助けた畠山重能(しげよし)の地(菅谷館)がある現在の嵐山町をめざして逃亡しましたが、当地入間河原で頼朝の追手に討ち果たされました
このくだりは『吾妻鏡』にのっていますが、それによると政子と大姫は義高の討死を嘆き悲しみ、直接義高を刃にかけた藤内光澄(とうないみつすみ)を打ち首にし、義高の霊をまつるため、その朽ち果てた地、入間河原に社を建てたということです
それが清水八幡ですが度重なる暴風雨や洪水で当時の社は跡形もなくなり、場所も現在でははっきりせずこの辺りであろうと思われます
義高の悲しい最期でした
残された大姫のその後はドラマでも描かれていくはずですが 生気を失い衰弱
縁談もすべて断り20歳の若さで亡くなりました
時代の波に放浪された源義高と大姫でした
帰り際 入間川にたくさんのこいのぼりが泳いでいるのが見えました
出典 狭山市民プロジェクト
『義高のこいのぼり』と名付けられたこの行事は
子供たちの健やかな成長祈願と共に 12歳で亡くなった義高への供養だそうです
2022年度開催は5月1日~5日
源義高の霊を慰めるために建てられた清水八幡宮でした
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