佐賀県の唐津は韓国から近いこともあって はるか昔から交流のあった地域
そのひとつとして百済25代・武寧王が生まれたのは唐津の加唐島(かからしま)だと言われています
百済の王がなぜ日本で!?
三国時代の激しい争いの中 百済は日本との関係を強めます
「何かあったら助けてね」ってことでしょうか、百済は日本に王族を預けるようになります
百済21代王が弟を日本へ送る際 自分の子を身ごもった側室も一緒に送るのですが
現在の佐賀県・加唐島までやって来た時 側室は出産
「途中で生まれたら送り返してくれ」と言われていた弟は子供を百済に戻すのです
その生まれた子供が25代・武寧王と言われています
1971年 この武寧王のものとされる墓
が公州で発見されました
もし彼が目的地に到着してから生まれていたら百済王にはならなかったかもしれません
また他の墓が荒らされていて誰のものか分からないのに対し武寧王の墓だけは無傷だったこと
これらを考えると どうやら武寧王は相当強運の持ち主だったようです
무령왕은 일본 가카라시마(加唐島)에서 탄생했다고 한다
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