百済最後の砦だった場所です
12月上旬でしたが紅葉がほんの少しだけ残っていました
とても眺めがよく 歴代の百済王たちが訪れたという王興寺が見えました
新羅との闘いに勝ち続けていた百済の義慈王(의자왕 ウィジャワン)は慢心するようになり
唐と手を組んだ武烈王(チュンチュ)とキム・ユシンの新羅軍は百済を攻め続けるのです
結果 追い詰められた義慈王は降伏し百済の幕が閉じたのでした
最後に追い詰められた百済王宮の女官たちは断崖から身を投げたといいます
ここからでは見えませんが その身を投げた岩は「落花岩」と名付けられました
女官のチマを花に例えたのだとも
高台にある百花亭はその女官たちの魂のために約1300年後の1929年に建てられました
この寺の記録はなく創建についてはよく分かっていないようです
皐蘭寺という名前は近くに咲いていた薬草の皐蘭草(コランチョ)からとったとも
中を覗くと最近のものと思われる遺影写真があり一瞬びっくり
今も寺として機能しているのかもしれません
やっと出発地点まで戻ってきました
後から知ったのですがこの近くには百済末期三大忠臣と言われる階伯(ケベク)などを祀った三忠祀(サムチュンサ)があるようです
またいつか訪れてみましょうか
百済が最期を迎えた扶蘇三城でした
드라마 '계백'도 보고 싶은데 삼국시대는 싸우는 장면이 많아서 못 봐요 TT
地図 コネスト
今回の扶余散策
ソウルからバスで日帰り旅へ
百済ゆかりの扶余(プヨ) まずは定林寺址
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