銅像から閔泳煥(ミン・ヨンファン)を知る | 韓国語&韓国旅行 てんこ盛り日記♪

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安国駅から近い曹渓寺(チョゲサ)脇の広場



そこを進んでいくとひっそりと銅像が建っていました






閔泳煥(ミン・ヨンファン)の銅像


この時点ではどんな人か全く分かってなかったけど 

その名字からあの人の親戚筋かな~とは想像できた

帰国してから調べると やはり閔妃(ミンビ)こと明成皇后の甥であり高宗のいとこでした


明成皇后といえば 親戚を要職につかせ実権を握ろうとした女性

ミン・ヨンファンも例にもれず17歳で官職につき その後は閔氏政権の主要人物となっていきます

この間 大使としてロシアの戴冠式に出席したり 欧米諸国も周り

当時としては外国文化にいち早く触れた一人のようです


が日韓併合が決まると 彼は遺書を残し自決するのです



悲しい

国と民の恥辱がここまでに至り わが人民がすべての生存競争の中から消えることになった

死で皇恩に報い2000万の同胞に謝罪する (ミン・ヨンファンの遺書の一部)



銅像の下に刻まれているのは その遺書の全文かもしれません

話はそれますが 韓国の時代劇や歴史ドラマの中で大事が起こると

・巧妙な手口で他人のせいにする 濡れ衣を着せる

・相手を殺す


どんな手を使っても自分を正当化する人がほとんどです

そのせいか「大義名分が必要」という言葉がよく出てきます


そう考えるとミン・ヨンファンのように謝罪して自決する人は珍しい気がします

閔氏政権の主要人物でありながら 今も称えられているのは

抗日という理由以外にこんな背景があるからかもしれません


彼の葬儀は国葬で3日間も行われ 多くの民衆が集まったよう

高宗・明成皇后の親戚とはいえ いち官僚の葬儀が国葬とはビックリです







愛した母国を 彼は今どんなふうに見ているのでしょうか



 *유서 遺書

 *장례 葬儀

 *국장 国葬






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