石碑記事に頂いたコメントがきっかけで ふと、あることが気になりはじめました
それは
どうして朝鮮王朝実録を残すことが出来たのか
ということでした
景福宮も昌徳宮も火災にあいながら 膨大な量の実録をどうやって残すことが出来たのか…
これが気になり調べてみると ヽ(゚◇゚ )ノなるほど、でした
編集された実録は同じものを作って4ヶ所の史庫に保管していたそうです
2年に一度 虫干しを行っていたとか
これで状態の良さが保たれていたようです
が 1592年の文禄の役(壬申倭乱)の際 3ヶ所の実録は消失
そんな中 全州に保管していたものだけは残ったそうです
これを元にまた同じものを作り 改めて5つの史庫に保管しました
この際 人口の多い都市部は戦や火災のリスクが高いことから
山の中に新しい史庫を作ったそうです
こうして実録は残ったのねで 全州の史庫といえば
全州韓屋村の慶基殿(キョンギジョン)
にあるコレだ!
ここに朝鮮王朝実録を保管してたんだ! ヽ(゚◇゚ )ノ
この史庫も文禄の役(壬申倭乱)の時に消失したので 現在のは1991年に再建されたものです
おそらく危険を察知した関係者たちは約800冊(当時)の実録を大急ぎで移したのでしょう
この時ひとまず保管したのが全羅道の内蔵山 だそうです
自分のための覚書きでした
전주사고
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