初めてガイドさんの説明を聞きながら昌徳宮(チャンドックン)を回りました
正確にいうと ツアー団体について行ってちゃっかり説明を聞きました (*゚ー゚)ゞ
ガイドさんの話を聞きながら昌徳宮を回ってみた
の続きです
こちらは大造殿(デジョンジョン)
私がこっそりついて回ったのは 昌徳宮のガイドではなくツアー団体のガイドさん
彼女の説明はすごく私感が入っていたんだよね ^^;
「景福宮も昌徳宮も秀吉の侵略によってぜーーんぶ焼失してしまいました
返して欲しいです」
笑いながらユーモアのある語り口調だったけど たぶん本音だと思う
このガイドさんの言ったことは広い意味では間違っていない
でも 景福宮と昌徳宮は秀吉が出兵した際 時の14代王・宣祖(ソンジョ)が宮から脱出し
それに怒った民衆が火を放ったのだと…
ひとくくりに「壬辰倭乱(イムジンウェラン)で焼失」となると
秀吉軍が放火したイメージ (_ _。)
とはいっても そのきっかけはやはり秀吉軍だからね…難しい
ガイドさんの説明を聞きながら いろんなことを考えちゃった
でも実は他の団体のガイドもこっそり聞いてたの ^^; あは
若いガイドさんは建物の特徴や当時の様子のみ やさしい口調でガイドしてました
宮専属のガイドと違ってツアーガイドの場合は
人によって説明の印象がだいぶ変わるな~と実感
さて 中断したのでもどします
こちらは楽善斎(ナクソンジェ)
24代王・憲宗(ホンジョン)が側室を迎えるために建てたもので
梨本宮家から嫁いだ李方子(イ・マサコ イ・バンジャ)さまが晩年に過ごした場所でもあります
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この日はたくさん歩いたので秘苑(ピウォン)はパス!!