ブルートレイン あさかぜ というと、古くは20系寝台客車がデビューしたとき最初にあてられた歴史ある列車です。
東京から博多まで結んで、食堂車やA寝台個室も連結している華やかな編成の 1号と4号
B寝台開放しかない地味な 東京から下関まで結んでいる 2号 3号
の2種類が、長い歴史の間走っていました。
私が最初に あさかぜ に乗ったのが、あさかぜが全廃止になることが公表されてから間もなくの2003年12月の、前回ブログを書いた「あかつき」レガートシートに乗ったときの行きに乗りました。
廃止になる前に、鉄オタ葬式乗車に実効支配される前に(笑)乗ってみたかったのです。
しかも新幹線よりも高かったが、お財布も奮発しました。 💸
当時は、華やかな編成の博多行1号と4号が廃止になっていて、地味なB寝台しかない2号3号が、のぼりあさかぜ、くだりあさかぜ、として運転していました。
名古屋から新山口も間を乗車して、名古屋発が23:42分だったような気がする。
新山口到着が、8:30分だったような気がします。
B寝台しかない地味なブルートレインでも、乗るときはテンションがあがりました。 😄
B寝台の上段で、窓はないですが、通路の上の荷物棚はありました。
名古屋出発の時点で、下段はほぼ埋まっていましたが、上段はほぼ空いていました。
23時をすぎているので、案内放送はなく、いきなり車掌さんがやってきました。
名古屋から乗ってきた人は私ぐらいなんだろうね。
検札を終えたらすぐ寝てしまいました。 😴
朝おきたら、すでに広島を通過していて宮島口駅で停車していました。
殆ど乗客がいなくて、おそらく広島で殆どの乗客が降りたと思われる。
もちろん私のいたボックスは私一人しかいない。
おかげで、窓のある下段に座ることができた。 😄
B寝台の上段は、朝おきて目的地に到着するまで下段に乗客がいると、下段に座ることができないので、寝台にいなければならなくなったとき退屈でしょうがない。
窓がないので、車窓もみれない。
その点 下段の人が降車した 今回は車窓がみえる下段に座ることができたのでラッキーでした。
柳井駅付近では、瀬戸内海が見えて絶景でした。
ブルートレインからの車窓からみる瀬戸内海今でも覚えています。
新山口に到着して、新山口では彼女が待っていました。 💕
2度目は、2004年の一月に、デートの帰りに、新山口駅から東京まで乗車しました。
新山口駅に17時頃出発して東京には7時に到着していたと思う。
のぼりは、名古屋にはとまらないので東京まで乗車しました。
またしても、上段で新山口駅の時点はまだ下段に乗客はいなかったが、検札の時に徳山から乗客がくるよと言われた。
でも、食堂車が廃止になって元食堂車がサロンになっていたので、そのサロンでくつろぐことができた。
広島からたくさん乗車して、満員に近いくらいだった。
満員のブルートレインに乗ったのは、これが最初で最後だった。
朝になって起きて、サロンで過ごしたら、熱海と小田原の間にある、ブルートレインの撮影する名所であろうなんとか鉄橋を走っていた。 💦 😅
初めて見た光景だったが、ブルートレインの写真ばっかみている私にとっては、見慣れた風景でした。
朝の通勤ラッシュで賑わう東京駅に到着しました。