2003年の12月、山口で出会った彼女との初デートの帰りに、今は亡きブルートレイン「あかつき」に乗って帰りました。

 

 

 

 

 

 

 

彼女とのデートは新山口駅に着いてから、彼女の車にのって岩国の錦帯橋へ行きました。

 

新山口駅まで送迎しようかと彼女に言われたが、女の子を深夜に車で走らせるわけにもいかないので、19時頃解散しました。

 

それからはラーメン屋「博多金龍」で暇をつぶして、バスも電車も終電が終わってから、湯田温泉から新山口駅まで10kmの道のりを歩いていきました。

 

バスがないから歩いていく ローカル路線バスの旅 みたいなノリを当時からやっていました。  😅

 

新山口駅に、1時30分に着いて、京都行 「なは あかつき」 に乗車しました。

 

1980年代は、大阪→九州 のブルートレインが一日20本くらい走っていましたが、当時は熊本始発「なは」 長崎発 「あかつき」 の抱き合わせ 一往復だけ細々と走っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

当時は、夜行高速バスが全盛期で それこそ1980年代のブルートレインに匹敵する20本くらい関西→九州方面の夜行高速バスが走っていました。

 

それにJRが対抗して、高速バス並みの豪華な座席で普通指定席で乗れる 「レガートシート」 の座席車が連結されていました。

 

新山口駅から夜中に乗車するので、どうせ寝れないだろうと思って 「レガートシート」を手配しました。

 

 

 

 

 

 

高速バスのように3列で、グリーン車よりも豪華で普通車指定席なのでお得でした。  😄

 

深夜の乗車だったので全然寝れなくて、朝兵庫の須磨浦公園を通過してとき日が昇って綺麗だなと思いました。

 

この列車は京都までだったので、京都から米原までは新快速、米原から大垣までは3両の短い普通列車、大垣からは新快速に乗って帰りました。