「泥仕合(どろじあい)」を大辞林では、以下のように説明しています。
どろじあい【泥仕合】
1.(泥にまみれて争うことから)互いに相手の欠点・失敗・秘密などを
言い立てて非難しあう醜い争い。「ーを演ずる」
2.歌舞伎で、舞台泥田を作り,その中で立ち回りを演ずること。
では「泥試合」と書くのは、間違いなのでしょうか?
しかし、実用日本語表現辞典には「泥試合」について、以下のように説明しています。
泥仕合
読み方:どろじあい
別表記:泥仕合、ドロ仕合
内容のひどい試合。または、相手の非難や欠点の言い合いに終結する
ということは「泥じあい」は本来は「泥仕合」と書くのだけれども、「泥試合」と書くのも慣用表現として
認められているということになるのでしょうか?
「泥じあい」は辞書が解説しているとおり、お互いに相手の悪事をばらしたり、
揚げ足を取ったり、醜い争いをすること、またそのような争いを指す言葉です。
例えば、以下のように使われます。
「ちょっとしたことがから始まった2人の言い争いは、泥じあいの様相を呈してきた」
双方が激しくやり合う様をイメージして、ついつい「泥試合」と書いてしまいがちです。
しかも、日常的には「試合」という言葉はしばしば使いますが、「仕合」はほとんど使いません。
しかしながら、正しくは「泥仕合」なので、その本来の意味を確認してみましょう。
「泥じあい」の「じあい」は、何かをするという意味の「しあう」なのです。
「泥じあい」の「じあい」には「競技」「スポーツ」「ゲーム」などの意味はなく、
あくまで、互いの弱点を攻撃したらい、相手の秘密を暴露するというふうな醜い行為を指します。
つまり、決して「試合」ではありません。「泥試合」と書けば、雨の日に泥んこになりながら
サッカーやラグビーをするという意味合いになってしまいます。