韓国プロジェクトでの出張は釜山出張よりソウル出張の方が
増えました。
また、高速国道を使うこともありました。
どこだったのかは、全く記憶にないのですが、
ある時、高速国道を走っていました。
すると、コンクリートの塊みたいなブロックが連なった
中央分離帯がありました。
そして、私は、「この中央分離帯は変わっていますねぇ。」と言いました。
すると、金課長が、「ここは、非常時には、滑走路になるんです。」と
教えてくれました。
これは、代替滑走路です。
韓国 において代替滑走路は、非常滑走路(韓国語 비상활주로 )と呼ばれ、
高速道路や国道に幅40m、長さ2km程度の直線区間と、
これに連結する 駐機場 を設けたものです。
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主に1970年代、 朴正煕 政権期に整備され、
米韓合同演習などの際に道路の前後区間を封鎖して空軍機の接近訓練や
再発進訓練が実施されていましたが 、1990年代後半以降は訓練頻度が減少しています。