マーガレット・マナーリン・ミッチェル(Margaret Munnerlyn Mitchell、
1900年11月8日~1949年8月16日)は、アメリカの小説家です。
長編小説「風と共に去りぬ」で知られています。

ミッチェルはジョージア州アトランタで生まれました。
父はユージン・ミューズ・ミッチェル、母はメーベル(旧姓スティーブンス)です。
兄が2人おり(1人は夭折)、3人兄弟の末っ子でした。
父は弁護士であり、アトランタ弁護士会会長、アトランタ歴史協会会長を務め、
アトランタの市史およびジョージア州史の権威として知られていました。
彼女の幼年期は南北戦争を生き抜いた母方の親類の影響を大きく受けています。
彼らは戦争に関する全て (南部連邦支持者が全てを失ったことを除いて) を
彼女に伝えました。彼女が全てを知ったのは10歳のときでした。
彼女は1918年にワシントン神学校を卒業し、その後、医学を志し
マサチューセッツ州ノーサンプトンのスミス大学に入学します。
しかし、翌1919年1月に母親がその年大流行したインフルエンザで死去し、
ミッチェルは学業をあきらめアトランタへ戻りました。
この出来事は『風と共に去りぬ』でスカーレットの母親が腸チフスで死去し、
タラへ戻る場面の元となっています。
彼女はアトランタで『アトランタ・ジャーナル』に入社し、日曜版のコラム執筆者となりました。
1922年に彼女は、ベリーン・「レッド」・アップショーと結婚します。
しかしながら、レッドは酒の密売人であり、彼らは、2年後の1924年に離婚します。
彼女は、1925年7月4日にアップショーの友人であったジョン・マーシュと再婚します。
再婚日を7月4日(アメリカ独立記念日)としたのは家族から独立の意志を示す為だと言われています。