いつもは、私の好きな土地を書いたあと、ゆかりの人物の事を

書いていたのですが、歴史好きのブロガーさんもいらっしゃいますので、

初めてですが、最初に、偉人の事について、書きますね。

 

ヘミングウェイと言う名前はお聞きになった事があると思います。

「有名な小説は?」と言うと・・・・・

そ、そうですね、「老人と海」です。

 

 

 

 

ヘミングウェイは、イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ)生まれです。

母親は元声楽家で、男の子よりも女の子を欲しがっていた母は、

ヘミングウェイが幼い時には、強制的に女装させる変わった性癖があったのです。

一方、父親は医師で、活動的な人物で、ヘミングウェイは、父から釣りや狩猟、

ボクシングなどの手ほどきを受け、生涯の人格を形成していったのです。

 

高校卒業後は、カンザスシティの地方紙の見習い記者になったのですが、退職し、そのあと

赤十字の一員として、第一次世界大戦における北イタリアのフォッサルタ戦線に赴いたのですが、

その戦線で負傷兵を助けようとして、自らも瀕死の重傷を負っています。

この時に病院で出会った7歳年上の看護婦に恋をしたのですが、

この恋は実らずに終わっています。

 

戦後はカナダ・トロントで、フリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡り、

小説を書き始めました。

 

行動派の作家で、1930年代には人民戦線政府側としてスペイン内戦にも積極的に関わり、

その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにしています。

「誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」などはそうした経験の賜物であり、当時のハリウッドに

映画化の素材を提供しています。

 

その後、1954年、「老人と海」が大きく評価され、ノーベル文学賞を受賞しています。

実は、この年に、二度の航空機事故に遭っています。

二度とも奇跡的に生還していますが、重傷を負ったため、授与式には出席出来ませんでした。

以降、これまでの売りであった肉体的な頑強さや、行動的な面を取り戻すことはなかったです。

 

晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされるようになり、

執筆活動も次第に滞りがちになっていきました。

 

1961年7月2日の早朝、散弾銃による自殺を遂げています。

当初は、銃の手入れの際に起きた暴発による事故死と報じられたのですが、

後に遺書が発見されたため。自殺と断定されています。

 

このアーネスト・ミラー・ヘミングウェイがこよなく愛した地について、明日、書きます。

 

皆さん、どこだかご存知ですか?

お分かりになった方、コメントを頂けると嬉しいです。(笑)