大学2年生になりました。

専門学科の授業も増えました。

 

私は、第二外国語としてロシア語を選択したのですが、

ロシア語を選択したのは、たったの二人。

大半の人は、ドイツ語。あと少数派として、フランス語。

 

やはり、嫌だったのは、製図でしょうかぁ。

製図の時間は、製図途中の紙をドラフター(製図盤の事です)に

貼り付けたまま、理工学部の地下にある喫茶店に

行っている事が多かったです。

 

そして、新しい友達が出来ました。

一番びっくりしたのが、灘高出身のS。

当時、東大合格No.1の高校でした。

「灘の奴もおるったい」と思いました。

それだけではありません。

開成高出身のM、麻布高出身のK。

 

特に、Kは私の親友になり、今でも連絡を取り合っています。

Sとは、別の友人が呼び掛けて、泊りがけの飲み会で

再会しました。

病名は忘れましたが、病に苦しんでいました。

元気かなぁ。