大学1年生の夏休みに
自動車学校に行く事にしました。
車が大好きな父の影響で、
私も車が大好きでした。

小学校高学年から、車の整備の手伝いを
していました。
中学校に入ってからは、夏休みには、
朝、父の車を洗車して、お小遣いを
貰っていました。

「三つ子の魂百まで」とは、
よく言ったものです。
大学院を修了したあと選んだ
職業に繋がります。

父は、鹿児島の土地を守る為に
兄(伯父)二人が医者であるに、医者の
道を断念せざるを得ませんでした。

父は、私が医者になるのを
望んでいたと思いますが、
小学生の頃、伯父から受けた
ひどい仕打ちで、私は医者が
大嫌いになりました。

今でも覚えています。
1979年(昭和54年)7月21日(土)が、
自動車学校の入校日。
母と同じ自動車学校にしました。

小学1年生の時、母はこの自動車学校で
運転免許を取りました。
妹と私は、自動車学校の中の託児所みたい
な所から、母の車の教習を見ていました。
いつも泣いていた妹。

7月21日は、奇しくも「フィーリング
カップル5対5」の予選の日。
リーダーの私抜きで予選に出ましたか、
ダメでした。
参加賞のアドレスプック、今も持っています。