今日は、Rと別れた日です。

41年前の3月26日でした。

別れは、突然やって来ました。

 

大学入試も終わり、浪人時代に出来なかった映画を観たりと

いったデートをしたかったので、何回かRの家に電話をしたのですが、

そっけない態度でした。

 

結局、私が合格した大学は

早稲田大学理工学部

九州大学工学部

(予備校で地方試験として受けた)同志社大学工学部

芝浦工業大学

でした。

 

「早稲田大学に合格する」というRとの約束は果たしました。

Rは、地元の大学の第一希望の各部は不合格でしたが、私が滑り止めとして

提案した各部は合格しました。

 

これで、晴れて、きちんと交際が出来ると思いました。

 

とは、言うものの、いつもそっけない態度を取られていたので、

「なんか、おかしいなぁ。」と思い始めたのと同時に、

「Rの気持ちは、私から離れ、九大に行っても、付き合ってもらえないかも?」

とも思い始めました。

 

そして、41年前の今日、Rに電話しました。

最後の電話になるかもしれないと予感しながら・・・・・

 

Rは言いました。

「手紙見たからやろう?」

 

なんの話か、ちんぷんかんぷん(珍粉漢粉)でした。

 

そして、西新の喫茶店で会う事にしました。

 

何を話したのか、よく覚えていません。

沈黙が多かったようにも思います。

 

何時間経ったのかも覚えていません。

コーヒーもなくなり、水ばかりお代わりする訳にもいかず・・・・・

 

そのあと、近くを散歩しました。

そして、近くの祖原山に着きました。

 

祖原山では、私は、「早稲田ではなく、九大に行く。」と

言ったと思います。

 

でも、Rの気持ちは、既に、私から離れていました。

結局、二人が進む道は違う道になるとの結論になりました。

 

山を下りる時、「Rはそちらから下りり、俺は、こちらから下りるけん。」と

言って別れました。

お互いが持っていた、顔写真も返して・・・・・

非常に悲しかったです。

 

家に着きました。Rからの手紙が住んでいたマンションの郵便ポストにありました。

中を開けて、びっくりしました。

 

私がRの為にRの授業を受けた事が、「自分を見失っている」と書かれ、

迷惑だったと書かれていました。

それと、当時、エロ本は、持っていなかったので、正直にその事をRに言っていたのに、

「男なら、正直にエロ本を持っているといいなさい。」とか・・・・・

 

最初の文面は、「私は貴方の笑顔が好きです。でも、お別れして下さい。」だっと思います。

 

「今まで何だったのだろう。」と思いました。

 

この手紙を読んで、私は、決心しました。

「九大ではなく、早稲田に行く。」と。

 

Rの手紙、今も持っています。倉庫に眠っています。

生前整理で捨てないといけないと思いつつ、そのままです。