風紀委員長になった時から覚悟していました。

「いつかはこの日が来るのではないかと」

そうです。体育館の裏に呼び出されました。

 

不良の中でも、使いっ走り的な奴が私のところに来ました。

「体育館の裏に来ちゃり」と。

もう何人も呼び出されていると聞いていました。

断っても、どうせ帰り道で待ち伏せされるので無駄だと思い、

昼休み時間に体育館の裏に行きました。

 

驚きました。不良が13人も待っていました。

「14年の短い人生だったなぁ」と思いました。

13人ではもうダメです。死を覚悟しました。

 

そして、ボスが私に

「おまえ最近、つやつけとろうが。(恰好つけているやろうが。)」と言いました。

私は「そんな事、しとらんけど。」と答えました。

「俺の女を取ったろうが」

何を言っているのか分かりませんでした。

ちょっと思い当たる事はありました。

順順の家の前で話をしている時、新聞配達のアルバイトをしていた

13人の中の一人が順順の家に新聞を届けていました。

私達が話をしているのを何度も見ていました。

そして、私達が話をしていただけなのでに、それに尾ひれを付け、

そのボスに告げ口したみたいです。

 

「こいつをくらせ(殴れ)」とそのボスが指示しました。

「やっぱりかぁ」と諦めました。

 

そして一人が指名されました。

私はみんなから一斉にくらされると思っていましたが、違ったようです。

どうも13人の中で、一番弱い奴から順番に私と戦わせると言う事のようでした。

13人の中で、3人位は勝てる自信がありました。

 

一番最初の奴と私の戦いです。

「くらせるもんならくらしてみ」と私は言いました。

 

ダメでした。そいつは私を殴る事は出来ず、ためらっていました。

次の瞬間、ボスが

「こいつをくらせ」とその下っ端の奴にみんなで殴りかかろうとしていました。

私は、「やめろ」と言って、そいつを庇いました。

すると、「お前には関係なかろうが」と止めに入った私は、

弾き飛ばされました。

 

この日以降、上履き & 下履きが隠される事も、雑嚢が隠される事も、

朝自習プリントが破かれる事もなくなりました。

この怖い経験をしたので、その後の人生で怖い事があっても

この事を思い出せば、乗り切れる自分がいます。

 

その後、そのボスはフィリピンで銃弾に倒れました。

他の人達も抗争、病死で、ほとんど今はこの世に生きていません。

その一番下っ端だった奴と同窓会で会う事がありました。

福岡市役所で課長をやっていました。

今はどうしているのかなぁ。