修猷とは、福岡県立修猷館高等学校の事です。
1783年福岡藩に創建された藩校です。
日本で二番目に古い高校と聞いています。
一番古いのは、山形県立米沢興譲館高等学校です。
ある時、順順が私に
「○○君(私の事です)も修猷やろう?」と言いました。
「えっ、順順、なん言ようとかいな?」と思いました。
当時、私の志望校は、甲斐バンドの甲斐よしひろの出身高、福商でした。
福商とは、福岡市立福岡商業高等学校(現:福岡市立福翔高等学校)の事です。
甲斐バンドが好きだったという理由で、甲斐よしひろの母校を志望していました。
中学に入ってから、そんなに成績は悪くなかったですが、大学に行く事は全く
考えていませんでした。
母からは、「男の子やけん、商業やなくて工業がいいっちゃない?
そうそう、久留米高専なんかどう?」と言われていました。
高専だと、学歴は短大扱いになります。
「どうやら、母は私を自分の実家の近くに行かせたいのかなぁ。」と思っていました。
「○○君、一緒に修猷行こうよ。」
「えっ?」また、心の中で思いました。
仕方ありません。「僕は、福商なんだ。」とは言えませんでした。
「うん、僕も修猷なんだ。」と答えてしまいました。
答えた瞬間、「まずい!」と思いました。
当時、私の中学の学区は、第七学区で、6,900人位いました。
修猷の定員は、450名。
成績上位の人は、鹿児島のラ・サール高校、久留米の久留米附設高校に行く
かもしれませんが、修猷に入るのは大変です。
私の中学からは、7名~8名しか修猷に合格しませんでした。
年度によっては、2、3名。
2年生の時は、8クラスありました。
なので、1名/クラス、つまり、クラスでトップでないと修猷は難しいです。
統計的に見ると、順順と私が一緒に修猷に入るのは、難しいです。
また、当時の私の成績では、到底修猷には入れませんでした。
それから、順順は、私に授業中とか授業終わってから、いろんな質問をしてくるようになりました。
「質問に答えないといけない」と思い、勉強もしました。
ただ、予習は一度もやった事がなく、復習のみでしたが。