骨折をして私は入院生活に入りました。
母は毎日、朝8時~夜6時位まで病院にいてくれたように思います。
ベットに縛り付けられているので、当然、食事は食べさせてもらわないといけません。
水分は、「楽飲み」と言う急須のようなものから飲んでいました。
でも、一番気をつかったのが、「排泄」です。
二人部屋でした。
相手の方は、途中で変わったように記憶しております。
最初の方は、若い人、恐らく当時、20代ではなかったかと。
母に聞いたところ、確か、腎臓が悪い方ではなかったかと。
私は骨折で入院しているのに、相手の方は内科の病気?
恐らく、小さな病院だったから?
次の方は、よく覚えていません。
排泄の時は、「すみません」と言って、病室から出てもらっていました。
母がいる時しか、排泄は出来ませんでした。
看護婦(看護士)さんには、頼めませんでした。
ただ、1回だけ、夜中におしっこがしたくなり、「おしっこ」と言って、
ベルと鳴らした事があります。
兎に角、暇でした。
何もする事がありませんでした。
唯一の楽しみは、「ラジオ」。
皆川おさむの黒ネコのタンゴ、弘田三枝子の人形の家、なんか覚えています。
夕方になると、クラスメートが来てくれました。
立石君、荒木君、細田君、小島君・・・・・
ただのお見舞いではなく、その日習った事を教えてくれました。
とても嬉しかったです。私の勉強の事を考えていてくれて。
左腕の錘は、4kgからだんだん減らされて、2週間後には、錘はなかったように思います。
そして、丁度、4週間後の10月30日に退院する事になりました。
4週間後、「さぁ、ベットから起きて下さい。」と言われました。
そのまま起きたのですが、全く立てませんでした。
人間、4週間も歩かないでいると、筋力が低下し、立つ事すら出来ない事を
その時、知りました。
そうです。それから、歩行訓練をしなくてはいけなくなりました。