
なんで部活毎日あるんじゃい

とゆーことで街道が全然更新できていません

中途半端に家から駅が遠いので母親に車で送ってもらってるんですが、途中に自転車・歩行者通行禁止のトンネルがあるんですね。
そこに(特に朝とか)歩いてる人とか自転車で通ってる人とか時々いるんですけど、まあはじっこにいるわけですね。
だけど、今日はど真ん中を通ってる自転車のおっさんがいましてね、クラクションを少しならしたら横に停めて「なにやっとんじゃ」的な口調で来るんですね

無理やりドア開けようとしたり…






なんやねん

こーゆー大人がいるからこの日本という社会が壊れて…
もういいやw
母親も珍しく怒り心頭に発したらしく、近く(といっても数キロ離れた)交番に行ったそうで。
本当町田って治安悪いですけど、何よりあれですよね、警察官が少なすぎる

日本一だそうですよ、1つの警察署で受け持ってる人口が。
こんなことで一位になっても何にもうれしくありませんが

もうパチンコ屋いらないから交番と図書館と市役所の出張所作れ

tk思うけどなんでカルフールがケーズデンキになんかなっちゃったんだろうなぁ…
ローラースケートのころが懐かしき哉

せめて普通のイオンになってくれればよかったのに

プレッセも東急ストアになっちゃったし

北口ばっかにスーパーできるし…

あ、なんか地元ネタ×愚痴でめっちゃとっつきにくい記事ですねw
話変えますか。
~~こっから真面目な話~~
今日社会の授業で聖徳太子からのメール手紙で中国の皇帝が怒った、ということを言う時に
「怒り心頭に達する」って先生が言ったわけですね。
発するやがな

もう一個気になったのが…
手紙で怒った理由。
先生は『「天子」、つまり皇帝の称号を日本の王が使ったから、怒った』ということを言ってましたが、やっぱこれ違いますよね


その部分を抜き出してみましょう。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」
これは607年、第二回遣隋使の時に推古天皇/聖徳太子が隋の第二代皇帝、煬帝(ようだい)に向かって送ったものです。
比較用にそのあと、第三回遣隋使の時の手紙も抜き出してみましょう。
「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」
教科書などには相違点として
天子→天皇・皇帝としていますが、もうひとつ大きな相違点があります。
日出づる処→東 日没する処→西
回りくどかった言い方を普通の言い方にしています。
しかし、それはただ回りくどかっただけではないのです。
「日没する処」に問題があったのです。
没する、という言葉にはよく「死没」のように
死ぬ、という意味でも用いられます。
つまりは、「死ぬ皇帝」という意味を持つのです。
あくまで「対等な関係」を伝えたかった聖徳太子にとっては、これはミスであったようです。
煬帝は怒り心頭に発しましたが、高句麗との関係を鑑みて戦はやめ返事を書き、使節の小野妹子に手紙を持たせました。
その怒りを感じた?妹子は敢えて聖徳太子に「なくしました」と報告しましたが、そんなこと聖徳太子にはお見通し。
上記の手紙を持たせました。
あくまでも、「天子」に怒ってない、と言いたいわけではありません。
とりま、学校ではなぜか教えていない事実がある、ということで。
因みに「中国」という名前、見ての通り、
「世界の中心である」という意味です。
中華思想、なんてよく言いますが、なんか「東京ジャイアニズム」にも共通する処があるような気がします。
ラ ソラ~【@ブータン、ゾンカ語でさようなら】


こりこりももも。