2-9 緑・長津田 ~謎は深まるばかり…、地名の由来となった!随流院と長津田~ | 徒然風

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本日2回目」って絵文字のところには「音譜」ってあるけど「音符」だよね、ぴゅうです
そういえばIEの調子が妙に悪いのでChromeで更新していきます(取り敢えず)

そういえば、リンクを張ってもらいました!
右下をご覧ください!

では、街道を進めていきましょう!
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長津田宿のはじ、下宿の石造物前からスタートですね。

ところで再訪はできなかったので、日曜日にしようかと思います
そのため追記するため今回は短めに~(時間が無いから?いやいや、そんなこと…)

この石造物の裏の場所には、昔、兎来の家がありました。
崋山が小休止したところであったそうで、主人は万屋藤七というそうです。
この人の屋号が兎来であったからこう呼ばれたそうです。
兎来って何て読むのかな…とき?とらい?うさぎくる?w

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さて、長津田宿を進んでいきましょう。

242m先、太い道を駅方向に向かうと曹洞宗随流院に出てきます。

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写真が無いのは…街道歩きではいかなかったから。
いつだったか、杉山神社巡りをしたときに行きました…が写真が残っていませんorz
再訪ついでに行きましょうか。←行きました。

さて、その随流院ですが、開山は1324年、鎌倉時代末、ととても古いです。
しかし、保育園が併設されていて、それに伴って厳重に入口がしてあったりして、近代的なイメージです。

この随流院ですが、もともとは天台宗の寺でした。
その時の名前が…天台宗長蔦山長蔦寺
地名の由来となりました。

そして1600年ころに大林寺の末寺、随流院として再興しました。

ところで皆さん、「長津田」はどのように読むかご存知ですか?
「ながつた」「ながつだ」どちらもありますよね。
個人的には東急の駅がながつたなのでそっちで使ってますが…?
wikipediaでも併用されています。
「長」い「谷津田」からきたとすると「ながつだ」
「長津」「田」、或いは「長」「蔦」などと考えると「ながつた」になります。
しかし、この近辺では谷津田、という言葉は使わず、「谷戸」と表現します。
実際に、近くのバス停は「大ヶ谷戸」(←後々街道でも出てきます)、「西谷戸入口」「柳谷戸」など谷津は見当たりません。
やはり「長」「蔦」でしょうか、直感で。

ちなみに、この長津田、という地名が文献に出てきたのは1559年だそうですが、それ以前は「都筑が丘」といわれていたそうです。
まるで「都筑ふれあいの丘」(地下鉄グリーンラインの駅)みたいですねw

さて、街道を進んでいきましょう。

先ほど「34m先、駅に向かう道を…」でできた十字路を今度は左折します。
すると173mで曹洞宗慈雲山大林寺が左手に見えてきます。
これも写真は…撮ってきます

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1570年に開山だそうで、本尊は釈迦如来です。
長津田の領主、岡野家や引田天功の御墓があるそうで!
かなり大きな古刹であり、1303年に作られた大きな板碑もあります!


では、

ペタしてね


地図です!
なんだか知りませんがコメントを書いたのに消えてしまったので内容はブログで確認お願いします