こんにちは
今日、学校から駅に向かっていたら、なんだか叫び声が聞こえるわけですよ。
市長選の選挙の演説らしいんですが、妙に声が大きいわけですよ。
こんな声が。
「今こそ、変えるべき時なのです!」
はい、というわけでブログの内容も変えることに。今回から新シリーズ、「大山街道辿り旅」を始めます
今回は、大山街道についてを説明します。
大山街道は、江戸時代、関東地方の各地から相模国大山(伊勢原市)へ向かうための道です。
江戸時代には大山信仰がとても盛んになっていました。
大山は別名「雨降山(あふりやま)」といわれ、雨乞いに霊験のある山として古くから農民に知られていました。
そのため、日照りが続いて飢饉が多くなると、関東各地で「大山講」が集められ、多くの人が大山に訪れました。
その時に使った街道が「大山道」といわれるようになり、「関東地方の四方八方の道はすべて大山に通ずる」といわれるほどに普及しました。
江ノ島・鎌倉観光や富士山信仰もともに行われ、宿場などもでき、発展していきました。
しかし、明治時代になり、鉄道が開通すると、駅から大山への道は使われたものの、遠くからの道は衰退していきました。
かなり沢山の種類があり、
藤沢から寒川を通って大山に至る一番重要な大山街道「田村通り大山街道」、
戸塚から長後を通って大山に至る「柏尾通り大山街道」
熊谷から坂戸・八王子を通って大山に至る「八王子通り大山街道」
春日部から府中を通って大山に至る「府中通り大山街道」
など沢山ある中で、僕が歩いたのは
江戸から大山に至る「青山通り大山街道」です。
二番目に重要な街道で、ルートは、
江戸・赤坂~三軒茶屋~二子~溝口~荏田~長津田~下鶴間~国分~厚木~糟屋~大山
となっています。
沿っている鉄道は、
赤坂~渋谷:東京メトロ半蔵門線
渋谷~南町田:東急田園都市線
さがみ野~海老名:相鉄線
海老名~伊勢原:小田急線
といったところでしょうか。
それでは、次回は、僕の歩いた「青山通り大山街道」について紹介します。