おはようございます。

今日は何とか雨も上がり

おねしょ布団を干せそうです。

命拾いしました。


今日は趣向を変えてコラムでも執筆しようかと。

ほんでピュコのコラムなので略して


『ピュコラム』 (←ウザイ)


大体コラムってなんぞえってことも知りません。

まあ、そんなんどうでもいいとおもってます。

(独りよがりですがなにか?)





昔話に出てくるおばあさんって


大抵二人に絞られる。


しかも主役に次ぐくらい重要な役割なのに


(イヤ、主役>ジイサン>バアサンかな?)


名前さえ出てこない。


『親切なおばあさん』


『意地悪なおばあさん』


こんな形容詞的な名前て呼ばれていたりするのだ。


ほんでもって、使われてるイラストは


どっちがどっちって説明しなくてもわかるほど


優しい顔と意地悪な顔に分かれている。




でも、これって意外に大げさな表現ではない気がする。


むしろ結構現実的な描き方じゃないかな?


「顔は心の鏡」なんて言葉は昔からあるし


中国のとある占いの考え方でも


顔(人相)はその人の生き様を表す


なんて考え方があるくらいだ。




そんな、能書き云々よりも一番わかりやすい例は


自分の周りに一人や二人居るのではないだろうか?




ピュコの親戚の話



ピュコの親戚のとある家庭は家族とても中が悪かった。


いや、未だに悪い。


息子達はそれぞれ独立して自分の家庭を持ってるんやけど


それぞれの家族が親交を深めるなんてありえない話だった。


なにかあればそこらじゅうでお互いの悪口を言っては


同意を求めていたのだ。


(かなり迷惑な話である)


その兄弟たちを育てた母親は


それに輪をかけたような性格をしていた。


つまりは、彼女こそ、ピュコの知る


『意地悪なおばあさん』なのだ。




意地悪なおばあさんは昔話に出てくるそれに負けないくらい


意地悪な顔をしていた。


眉はすこし上がり気味で


口はへの字口だった。


実際いつもそうだったかは定かではないけど、


私の記憶に残る「意地悪なおばあさん」はそんな顔をしていたのだ。



その逆も然りで


「優しいおばあさん」の記憶もある。


サザエさんに出てくる「裏のおばあさん」のような彼女は


いつも笑っていた記憶しかない。


たぶん、笑っていなくてもそう見えた気がする。


(私がやってるとおかしくなったと思われるだけだろうけど)


そのくらい笑顔が似合うおばさんだった。



人間の顔というものは


木で言う年輪に近いものがあるのではないだろうか?


年輪を見てみればその木がどういう環境で育ち


どんな境遇を生き抜いてきたのかわかるのだという。


人間の顔の中に含まれる要素はその年輪よりも


もっと複雑で繊細な自分史なのではないだろうか?



望んでも望まなくても自分生きてきたこと感じていることは


自分の顔に刻まれていく。


そう思うと、無駄にくだらないことばかり考えてられないなぁと思うのだ。



あなたはどんな顔になりたいですか?


うん、ピュコはそうやなぁ、


ニコールキッドマンみたいな、完璧に美しい顔になりたいなぁ。






が、あいにくそれは無理な話だ。


(まず人種から言って無理)




でも、彼女のように自信に満ち溢れた顔になることは


無理な話ではない。



だから私は前を向いていたいと思う。


悲しみや、苦しみに気を取られて大切なものを失いたくないから


だから前を向いて笑っていたいと思う。




あなたはどんな顔になりたいですか?


はい、私はキラリズムな顔になりたいです(意味不明)


『おっ、いい顔してるな。』


って思われるおばあちゃんになりたいです。



その為に、自分らしく生きていこう。


今日も、今この瞬間も自分史が刻まれてるんやろうなぁ。