まあ、そんな感じでチック症の息子との日々が始まったわけですが、

基本的には、
息子と私が向き合うしかない。
お互いにとって何がベストか。
※今は過去の追想なので冷静に記してますが、当初はこんな冷静に判断してませんw

子供に寂しいと思わせていることに胸は苦しくなるものの、
仕事と子供、どっちが大事?と聞かれて、
私はその二つは比べられるものではないから、
選択できないとしか答えられない性格。

仕事は、私が人生をかけて向かうもの。
子供は、私にとって最大のエネルギー源。

だから、例えば、
子供を失うと、最大のエネルギー源がなくなるわけだから、まぁ、死にかけはするけど、
子供が死んだら私も絶対死ぬかというと、
死にかけるのは必須だけど生きるか死ぬかはその時の私次第だと思う。

また、仕事(人生をかけて目指すもの、と定義)を失うと、これは息をしてても、
死んでるみたいなもんだと個人的には思っている。
※ちなみに、離婚するまではこんな考え方じゃなかった。全体の幸せはわたしには無理。だから家族と家庭のことだけ考えよう。家族と家庭を幸せにすることだけを考えよう。家族を幸せにできなかったら世界も幸せにできないという考えだった。
一度、世界平和を目指し、教育の格差をなくすために動こうとしたけど、断念してしまい、世界を見ず家族と家庭、自分の周り自分のことしか考えないようにして生きてたのが、変わるきっかけがあった(この話題は別のトピックスたてて残す予定)。その流れで離婚になった。ある意味人生の転換だった。


とチック症とそれた話しをしてしまったけど、
何でこれを書いたかというと、
息子の寂しさを絶対に優先してフォローするわけではない考えを持っている中で、
そんな母親が息子と向き合っているという前提を書き残したかったから。

仕事も子供もどちらも失いたくないから、
時間の一つ一つを、どちらを優先するかというのを常に選択してバランスを取る感じの生き方が私の生き方。

息子にとっては大好きなお父さんが一緒に住まなくなったことも、ものすごく寂しかっただろうし、
母親が仕事で忙しすぎるのも寂しかっただろうし、
でもそんな寂しかったり辛かったりする人生も息子の人生だ。
大きくなってから、母親がちゃんと向き合ってくれていた、ということは思ってもらいたいし、そこは大切な部分だから守りたいとは思っている。

まぁ、私も、小学校2年生までは、
指すってた。治らなかった💦
母親に唐辛子塗られたりしたけど全然治らなかったなぁ。


チック症はこの後悪化したりしながら
数ヶ月続いて、
そのあとチック症がなくなってたところを次のブログで書こうと思う。

つづく