おはようございます。

連休も終わり、あっと言う間に一週間が経ってしまいましたね。みなさんはいかがお過ごしでしたか?

私はというと連休はバタバタで、なかなかブログどころではなくなってましたが、気持ち的にもようやく少し落ち着いたので、連休中に起きたことを記録しておこうと思います。


連休に入った2日目、お休みを北陸の某所にある妻の実家で過ごすため、家族で車に乗って向かっていました。


滋賀県の某SAで休憩中に、妻の電話がなりました。


義兄(長男)の奥さんからの電話でした。
※妻は3兄妹の末っ子です。

『詳しい事はまだよく分からんけど、建築関係の仕事をしている義兄(次男)が今日、仕事中に倒れ救急車で運ばれたと…』

この日の夜は、義兄(次男)の家に行き、みんなで晩ご飯でもと前日に電話で話していました。

『貧血か何かかねー?』

『まだ滋賀県やし、家に着く頃には病院から出て自宅に帰ってるかも知れんし、もう少し近くまで進んだらまた電話しようか』

『家か病院か、どっちに向かったら良いか分からんしね〜』

何て会話をしてました。



その後、間も無く電話があり、




『義兄(次男)が息を引き取った…』と。





あまりに突然のことで、何が何だか分からないまま病院に向かいました。


そこには、まだ温もりが残っている義兄(次男)が眠っていました。




2歳半の娘が言いました。
『おじちゃん、ねんねしとるね…』


妻『そうやね…。』
『おじちゃん、いつもいっぱい遊んでくれたよ           ね?覚えてる?』

娘『うん…』


義兄(次男)は子供と遊ぶのが上手で、娘もとても懐いていました。


娘が私に言いました。

『かあちゃん、えーんえーんしとるね…』

『みんなみんな、えーんえーんしとるね…』



まだ幼い娘に、人の『死』は理解できてはいないと思いますが、その場の空気に何か感じるものがあったのでしょう…。
泣き出してしまいました…。


死因は、心筋梗塞とのことでした。

3月に我が家に来てくれた時の事を思い出します…。いつもどおり元気にしてましたよね。

とにかく突然すぎて信じられませんでした…。


本来、今日はお休みの日だったみたいなのですが、頼まれて知人のお店の屋根の上に登り、お仕事をしていたらしいです。

義兄(次男)は我慢強い性格だし、責任感が強い人なので、ひょっとしたら朝から体調が悪かったのに、断らずに無理をしていたのかもですね。


屋根の上で倒れているのを、同僚の方が見つけて救急車を呼んでくれたようです。

倒れてからどれくらい経過していたんでしょうか…。 
心筋梗塞ですから、激痛と苦しみは計り知れないものだったでしょうね…。


義兄(次男)は随分前に離婚をしており、子もいないため一人暮らしでした。

父も遠い昔に蒸発しているため、高齢の母と長男、私の妻で、身の回りの整理等やるべきことを話し合い、葬儀も進めていかなければなりません…。

家族の居ない、そして自営業の義兄(次男)。
交友関係や思考関係、何がどうなっているのかさっぱり分かりません。



ですがある意味、幸いだったのでしょうかね。

遠方の他県に嫁いでいる妹(私の妻)、同じく遠方の他県に単身赴任中の長男、二人がたまたま連休で帰省しているところでしたから。

高齢の母は息子の突然の死に、放心状態で何も手に付かない状態ですしね。


聞くところによると義兄(次男)は、ほぼ毎日が外食で、お酒も相当量飲んでいたようです。
又、量は多くはありませんが愛煙家でもありました。


自炊は米を炊く程度で、おそらくは野菜をほとんど摂らない食生活が長く続いていたのでは? とのことでした。

急死したもんですから、すぐに警察が自宅に入り事件性がないかの検証をしたようですが、血圧が高くなっていたのか、血圧計がテーブルに置かれ、その薬も処方されていたようです。

妻曰く、義兄(次男)はちょっとやそっとでは病院に行くような人ではない。と。
 

やはり、自覚症状はあったんでしょう。
親、兄妹や周囲の人に迷惑が掛からないよう、ずっと我慢していたんでしょうね…。


自営業の方は、特にそういう傾向にありますよね。




なんだかんだとバタバタしながら、お通夜、葬儀の準備を進めていきましたが、小さい娘の面倒をみながらは本当に大変ですね。

子供には、そんなのお構いなしですものね。


妻は、実の兄が亡くなっても悲しむ暇もない。
不憫でなりませんで…。

幼い頃に父親が蒸発している妻にとって二人の兄は、父親代わりでもありました。
一般の兄よりも絆は深かったことでしょう。



母は強しですね。



何とか、お通夜、葬儀の打ち合わせも終わり、あとは自分達の身の回りの準備です。

出先ということで、3人分の礼服から何から全て揃えるのに随分とお金も必要になってしまいました。

あれよあれよとしているうちに、納棺となりました。
私にとっては、まだ数年のお付き合いでしたが、
妻との結婚が決まり、3人でお酒を飲みに行ったときのことをふと思い出しました…。

『妹は短期なところはあるけど、料理は上手やし、きっと良い嫁になると思う。
いろいろ世話を焼くこともあると思うけど、よろしく頼みます』と。

店を出たあと握手し、
『自分は◯◯君(私)のことを、本当の兄弟であり家族だと思っている』と仰ってくれました。


涙が溢れてきました…。


『出会いの数だけ別れがある』とは言うけど、
あまりに早すぎですよね。



私は娘の相手をしていたため、納棺に立ち合うことは出来ませんでしたが、笑ったような表情をしていたらしいです。

とても満足そうな顔だった…と。





その後も通夜、葬儀と滞りなく無事に終わり、いよいよ火葬の日となりました…。

最も辛い瞬間でした…。








最後に娘が言いました。









『おじちゃん、ありがとう…。』
 『またね…。』








自分でそんな事を言う訳はありませんから、きっと誰かが教えたんでしょう。

不意なことに涙を堪えられませんでした…。












義兄はその職を活かし、東日本大震災でまだ余震が続く福島に行き、復興の支援に尽力していました。
そんな優しく男気溢れる義兄が、私にはいたことを絶対に忘れません。

ご冥福をお祈りします。
あまりにも早すぎではありますが、お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。

またいつか、そちらでお酒を飲み交わしましょうね。