司馬遼太郎の「関ヶ原(中)」を読みマスタ(^_^)ゞ
いよいよ三成VS家康の対立構造がしっかりしてくるんですが、
それに巻き込まれる、多くの戦国大名達が本巻では、描かれておりますね。

中でも、黒田長政(官兵衛の息子)とか
堀尾忠氏の下りは、なんとも、考えさせられます。
徳川家康が、三成側との戦を決める小山軍議にて、なんとか自分の価値を
高めようと、ある策を考えつくのですが、それを調子に乗って
山内一豊に、策を自慢してしまうわけです。
策というのは、家康が西軍との決戦に向かう折り、自分の城を明け渡すと言うもの。
ここまですれば、家康の心証は非常なものになること間違いなし。
しかし、策に溺れ、結局策を漏らした一豊に、軍議でこの策を先に言われ、
一豊は、家康に絶賛され、当の堀尾氏は、一豊の後に同調した多くの大名と
一緒に過ぎず、家康に大きな印象を与えることができなかったそうです。
結局、一豊はこのときの功績で数万石から土佐二十数万石の大大名に出世し
かたや堀尾忠氏は、それなりの加増はあったものの、数年後病死。
その後跡取りに恵まれずお家断絶とのこと。
なんとも、いい気になっていると、ろくな事が無いという感じですね。