UKIKIKid's WebLog  【考え(すぎ)る人】 詩と記憶。      ~見て来たものについて僕が語ろう。~ -2ページ目

UKIKIKid's WebLog  【考え(すぎ)る人】 詩と記憶。      ~見て来たものについて僕が語ろう。~

昭和生まれのうさぎオトコ。挫折どころか“そこ”に立つことさえ叶わないまま過ぎゆく日々を吐露する脳内解放劇場。もう、未来は語らない。それでも。辞める際には惜しまれたいのだぁ(切実)!

十代でデビューしたかった、けど、
そっからで十年ぐらいしかもたないのだとしたら、
あと何十年と抜け殻で暮らすこととなる。

負け惜しみ。しかし一理はある。

四十代の今、何もかもに「今更・・・・・・」とやる気が出せないでいるけれど、
例えば今から二十年、みっちりと何か集中した勉強などをして蓄積して、
六十からの二十年、活躍し稼ぐことができるのならば、
まったく当てにできないであろう年金などの穴埋めを、
とりあえず死ぬまで自力でどうにかやっていけるのでは、
などとも思う。ってか、今になるとその方が安心て気がするし、
希望も湧いてくる。ひとつのことで一生涯、第一線にいられることは
立派だし理想なのだけれども、それは本当に大変なことだと思う。
なまじっかなことでは成し得ない。

「あと十年二十年でいいんだ」と思えるならば、
少し気楽に、肩の力抜けた生き方も目指せるのじゃないだろうか。

ま、やっぱり負け惜しみ。
若い頃なら考えなかったろうな。

それでも日々は続く。
ぼおっとしててもただ寝ていても、
毎日確実に齢をとる。

その絶望を乗り越えるには、
どうにか光が必要なんだな。
今の日々のままで生き抜くことは、
もう無理だし。自分を鼓舞する、
新しい希望が常に必要。

結局、最終的に自分を支えるのは
自分自身でしかないのだし。

「生き方よりも考え方」とは
よく言ったものだなあ、とつくづく感じ入る。
本当に。助かりますです。


これまで、と
これから、と。

眠る前には毎夜ハッピーでも、
目覚める瞬間には毎朝絶望している。

そんな日々なので。
ってことでもない、けれど。
どないやねん。

とりあえず新年度!
って、ダラダラ生活のあたくしめには、
このまぶしいまでのキャッチは
とんと縁のないものではありますが。
いやもほんと、
何十年と縁のない言葉だぎゃ。

まあとにかく新年度
このブログもちょこっと変化させてみますた。
これからもちょこちょこ変わってゆくと思います。

相変わらず “ひとりごと” ばかりの
中身のない、
得るところのない、
どうしようもないブログではありますが。

続く限りは末永く。
ご愛顧いただければ何よりです。
よろしくお願い申し上げます。

ではではまった~ん♪

おはやうございまっす!

 

皆さま既にご承知の通りっ!

 

本日3月6日は「3(さ)6(る)の日」でっす!

 

し・か・も♪

 

「申年」の「さるのひ」ってことで、めでたさもひとしお!

 

ukitti

 

そんな記念すべき日なので(^~^)/

 

せっかくだから何かやりたいな、と思い立ち

 

以前、別のブログサイトにて連載していた、

 

そしてこのアメブロでも少しだけ平行掲載していた、

 

『うきぞう絵日記』なるイラストブログをば、

 

Ameba Owndに移設して第1回から再連載

 

開始いたしておりまっす!

 

どんどんぱふぱふ~♪

 

内容も少しだけいじってゆこうかと考えておりますので、

 

お暇な時、気が向かれましたらば、

 

覗いてみてやってくださいまし♪

 

よろしくお願いしまっす!

 

UKIZOU's daiary.

 

https://pyontado-ukizou.theblog.me/

 

ではでは~ん♪ニヤリ音譜

 

うちは

父ちゃんが料理を作り、

父ちゃんが洗濯をし、

父ちゃんが買い物へゆき、

父ちゃんが掃除して、

父ちゃんが風呂の支度をする。


こーゆーのなんてゆうんだっけ?

シングルファーザー?? 父ひとり、ってこと?

でもうちは

母ちゃんもいるよ。毎日

朝早くに出掛けて、

夕方遅くに帰ってくる。

お金を稼いでいる。


よそんちじゃあ働いてるのは父ちゃんばっか。


働くのが「父」で

家にいるのは「母」?


でもうちんちじゃ

父ちゃんが家にいる。

じゃあ父ちゃんは「母」?

じゃあ母ちゃんが

稼いでくるから「父」?


それとも何だろ? ふたりとも

父親?

父ちゃんがふたり、で

母ちゃんもふたり??


全部で四人の親、なのか。

得した、ような

損したよう、な。

面倒だけど

嬉しいような。


だけれど花見のお重は

四倍

ない。

損したけれど

そこだけは

フツー。

ほっとする。



(2009年の春)

今年の春は最高の春だった。

口うるさくていっつもエラそうだった

父親が

いなくなったから、だ。


元気でな、

とかシラけたこと言って

ゴツい手で頭ぐぁしぐぁし

とかやりやがって、セットが台無しじゃねえか

って思ったけど黙っといてやった。


母さんのこと、支えてやってくれな。

だってよ。そんなこと

子供に重荷だけかつがせて、

てめえはシレっと出て行った。

オンナのとこ、か?

知ってんだぜ、知らないフリ

してやってたけ、ど。


言われなくっても元気でいるよ、

だってアンタがいない。今日から

思いっきり遊べるもんよ!


言われるまでもなく

母ちゃん

子供が支えだよ、子供しかねえもんよ

判るよそれぐらい、

だって母ちゃんだもんよ、

アンタとぁ違うよ。


こーゆー母ちゃん、なんてゆーんだっけか?

シングルマザー?? 母ひとり

って意味?


でも母ちゃんは言ったよ、今日から母さんが

父さんと母さん両方の役になるの、

って。


だから。

何だろな?

ひとりで両親?

でも母ちゃんは母ちゃんだし、な。


花見へ来たんだ、ふたりで。

父ちゃんいたら、空気がピリピリしてて

母ちゃんの居心地いっつも悪そうで。

だから今年の花見は最高だ、心おきなく

はしゃいでられる。


だけどふと

目を上げると満開の桜の下で

母ちゃんの

花を見上げる横顔が

何だか淋しいような

哀しいような


気づいて。

こっちを見て。

笑ってくれた。

優しい、でも

やっぱりどっか

桜の花みたいな

そんな笑い方だった

な。



(1982年の春)

最近なって気づいたこと。

てか、

三日前に唐突に気づけた、こと。



「対象」を

見て描いたことが、

ない。



頭ん中に湧くイメージを、

何も見ずにぶわわっっっと。

いきなし、描く。



たとえば犬を描くとして、

何も見ずにいきなし、描く。

柴犬“っぽい”とかパグ“っぽい”とか、

結果的には「犬」だけど、

「対象」つまりモデル、かな?

「対象」を見詰めてじっくりと、

その「何」を抽出すれば自分の描きたい犬になるのか、

だとか、まあ言葉にすりゃあコムズカシ

そんな諸々なにひとつ

掴まないままに描く。

掴もうとしないままに描く。

掴むってことすら意識にないままに、描く。



「掴む」ってことの実際を、

そもそも認識していない。

それで「何」を「描く」といふの、かしらん?



「伝える」って

自分が見ている、認識している、その

「対象」を。「対象」の。



「何」

を、貴方に「手渡す」衝動。

私の「受け」た「何」を、

貴方に「渡す」行動。

「対象」をこっちからそっちへ「受け渡す」

純粋伝達。



なのにこれまで30年、

いいやそもそも人間性からして

「受け渡そう」なんて思っちゃないから



生まれてこの方40年、

「対象」を見ることなく「伝え」ようってしていたな。

「伝え」るってことの本当を、まるで解っちゃいなかっ、た。



そんなでよくも漫画家に、

いずれ世界の絵画家に、

なれるだなんて、信じてた



バカな自意識

愚かな自意識



棄てたい、な。



堂々巡りの30年。

独り芝居の30年。

自己愛ばかりの自意識に

振り回されてそれでなお。

まだ信じたい、

って想ってる。



阿呆は死んでも治らなひ。



棄てたい、だなんておセンチが

すでに自意識100パーの

ぬるま湯露天、心地よからう?



それでもやっぱり

棄てちゃって

らくになりたいって、嘘じゃないんだよ、ね。


金糸猴  



キンシコウとは『西遊記』の孫悟空のモデルになったとされる猿。

写真を見ながら描いたってのに、似ても似つかなひ(号泣)。

申年は(なるべく)積極的にお猿を描いてゆきたいです。

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第154回 芥川賞の候補として本谷有希子さんのお名前が挙がっているのを目にして、
今度こそは受賞させてあげて欲しい!
と我が事のように切に願っておりました。


4度目の正直(って言葉はないにしても)で、見事受賞が決まり、
嬉しい気持ち以上にほっと安堵の想いが湧きました。
本谷有希子さん、『異類婚姻譚』の芥川賞受賞、本当におめでとうございます!

そんな本谷有希子さんの受賞コメントの中で個人的に特に印象深かったのが、
「(お子様を)出産して嘘のように自意識が消えた」
そのことにご自身が大変驚かれた、との発言でした。
最近、自分が男であるがゆえの苦悶を考える機会が重なり、
その突端として本谷さんの言葉を捉えた為、感慨が深かったのだと思います。


男は「理屈」で父親になり、
女は「実感」で母親になる。


極論ではありますが、最近ひしひしとそう考えます。
女性は10ヶ月もの期間、自身のお腹に生命を抱え、自らの命を懸けて産む。
それは紛れもなく「実感」であり、嫌な言い方になるけれど、
種が誰のものであろうとも生まれた子は「自分の子」です。


逆説的に、男性はその種が自分のものだったと「信じる」ことができない限り、
生まれた子を「我が子」とは思えないわけです。
もちろんほとんどの男性が、自分の奥さんが産んでくれた子供を、
自分の子ではないかもなどと疑ったりはしないでしょう。
極端な話、現代ならばDNA鑑定って方法もあるわけで、
男性だって「間違いなく自分の子」と科学的な「実感」を得ることも可能なのだし。


それでもあっしのような愚かな“考え過ぎる”男は、ぐじぐじと「理屈」で自分を説得しないと
父親の自覚なんて持てないのです。別に無理に持たずとも、
子育てしてゆく内に(嫌でも)自然と父親になる、とも思うのですが、
それも含めてぐじぐじと考え過ぎます。情けない限りです。


本谷有希子さんの受賞コメントを読み、
自意識の塊のようであった本谷さんをして「自意識が消えた」との率直な想いに、
心の底から強烈な憧れを抱きました。
あっしもこの「自意識」から解放されたい。
漫画家になると決めてスタートしてから30年近くにもなるこの厄介な「自意識」。
いい加減、疲れました。


だけど多分。
子供が誕生して自意識が消える
のは、出産を経験できる女性ならではの感慨なのではないか、
とあっしは思うのです。ぐじぐじと、そんなことを考えてしまうのです。
「自意識」はますます増大し、やがてそれを自らの子供に負わせてしまうのでは、
とそればかり恐れます。怖くて怖くて仕方ないのです。


いっそ自分は女に生まれたかった、と、
世界中の女性からぶん殴られそうな考えさえ、
湧いてきてしまいます。
どうしようもないことだけど、自分が男に生まれて良かっただなんて、
思えたためしがない。


とまあ、そんな余計なことまで考えた次第です。
『異類婚姻譚』、読むのを楽しみにします。
ではでは。
何を思ったものか、小学生の頃に一時期、
「鳥山明ファンクラブ」なるものに入会していたことがある。
運営はおそらく集英社であり、会費に類するものはごく微々たるものだったと記憶しているが、
その割にはしっかりとした印刷冊子の会報が届いたり、入会特典として連載原稿のコピーや、
著者近影に顔写真を公開しない鳥山さんの超貴重なバストアップ生写真が貰えたりで、
内容はかなり充実したファンクラブだった。
それらの品々はもちろん、今でも宝物として保管してある。

ところで鳥山明さんの「著者近影」といえば常にイラストであり、
擬人化された鳥だったり、ガスマスクのような面をかぶったドテラ姿の人(?)だったりするが、
そうなった経緯というのをうろ覚えながら記憶している。
デビュー間もない頃に顔写真が雑誌か何かに掲載されたことがあり、
ごく些細な情報(と御本人は思われていらした)であったにも関わらず、
外出先で「鳥山明さんですか」と声を掛けられ戸惑ってしまい、
以来、御自身の写真は極力表に出さなくなった、のだとか。
曖昧な記憶で恐縮だが、そのような理由でファンクラブ特典の写真は非常に貴重なものだった。

そんな鳥山明さんの出世作である『Dr.スランプ』を、今になって購入し、読み始めている。
数年前「完全版」が刊行された際に「待ってました!」とばかり即買いしようとしたのだが、
新たに描き下ろしとなったカバー絵がどうしても受け入れがたく、
迷っている内に手に入らない状況となった。現在、「完全版」はおそらく廃版。

正直、個人的には現在の鳥山さんの、ペンタブレットを用いた画風は好みではない。
紙にペンで描かれていた頃の方が風合いもあり、僕にとっては遙かに魅力的なのだ。

そんなわけで、ジャンプコミックス版を数冊ずつ買い揃え始めた次第だが、
驚くなかれ、まだ刷が重ねられている!
手元の「第1巻」奥付によると、第1刷が1980年8月14日であり、
2015年10月12日でなんと第89刷が発行されている! まさに驚異的!

ところで最初のアニメ版、そう、内海賢二、小山茉美という、
今からすれば驚愕&号泣ものの配役がなされていた伝説級のテレビアニメを、
当時小学生だった僕も毎週欠かさず観ていた。水曜7時?
続く7時半からの『うる星やつら』も欠かさず観てたっけ。

昔も今も。

原作か映像版、どちらかしか見ない。

主義ではなく習慣。漫画だろうと小説だろうと、
ドラマ化やアニメ化、とにかくテレビ番組として放映される場合、
成り行きであれ何であれそちらを観ているのならば、
原作は手に取らない。逆もしかりで、最初に触れたのが原作ならば、
映像化作品はほとんど観ることがない。
そんなだから当時、アニメ版を敬愛していた僕は当たり前のように、
原作コミックスへ手を伸ばすことはなかったのだ。

それで今、何十年も経ってようやく、
ほんと今更になって原作漫画を読んでいるのだけれど、
鳥山明さんって本当に絵が巧い! びっくりするほど巧いっ!
当たり前だろ、って怒られそうだけど、率直に、その絵の巧さに舌を巻く。
今更、改めて、圧倒される。
軽やかに滑らかな描線が、とても生き生きと「漫画」を刻み込んでいく。
第1話の1コマ目からして既に「鳥山明」なのだ、とっくに完成しているのだ!
凄いっ! 凄すぎるっ!

おそらく小学生の頃に読んでいたら、
僕はこの絵の凄さに気づくことはなかっただろう。
ただ単に漫画として、面白がって終わっただけだろう。
だから今になってこの名作を手にしたこと、幸運だと感じている。
はあぁ、なんて絵が巧いんだろ、ってため息まじりにページをめくる、
この感覚は、今だからこそ味わえる。それが嬉しい。

期せずして『ジャンプ流!』が刊行されておりますね。その表紙は当然のごとく、
世界的な超ヒット作である『ドラゴンボール』の悟空さんが堂々飾っておられるわけですが、
敢えて断言。
鳥山明の代表作にして傑作と呼べるのは『Dr.スランプ』です。
もちろん、あくまで僕個人の感慨に過ぎません。
悪しからず御了承くださいまし。