昭和40年から50年代、○橋さんちがひとつの家族として
形を成していた頃の出来事です。
 当時の本人達にとっては、どれも真面目に大変なことばかり。
なのに今となっては、つい笑ってしまうようなそんな話です。

 群馬県前橋市の○橋さんちにようこそ!!

 [さあ、始まり]

 ○橋さんちの始まりは、昭和39年。

 東京オリンピックで世の中が活気づいていた頃でした。

 東京、蒲田生まれの35才だった○橋豊太郎と、群馬県で
生まれ育った29才の●藤今枝が出会い(お見合いらしい)、
翌40年に長女:晴美が産まれました。

 今枝には、既に5才の男の子(■彦)が1人いたので、あっと
いう間に4人家族のスタートです。

 その頃の写真はたった一枚だけ。
 今とは時代が違うとはいえ、やけに老けて写っています。

 緊張して無表情な顔で一列に並び、息子の■彦はぴったりと
母親に寄り添って立っています。

 どう見てもなつかれていない新しい父親:豊太郎は、痩せた
神経質そうな顔をしていて、既に頭が薄くなっていました。

 その豊太郎、仕事は人一倍真面目にするものの、それは
賭事をする為。

 給料日に妻に渡されるのは、毎月ほんの数万円だけ。
 それで家計を切り盛りするのは到底無理です。

 父であり夫であるはずの豊太郎に、家族を養うなどという
自覚は頭の片隅にもなかったのです。

 …続きは次回。