「生きること」 

○○高等学校 4年 hananokorun

 

私は昔、自殺しようと思いつめていた事がありました。

1才のときに火傷をして、私の左手は、物心ついたときから自由に動かすことが出来ませんでした。同い年の子たちからは気持ちが悪いと言われ、化け物扱いされて、そんな私に話しかけてくれる子も、一緒に遊んでくれる子もいなくて、どうしようもなく寂しかったものです。

 

小学校に入ってからも、友達が一人もできません。女子からは、悪口や嫌味などを言われ、男子からは、石をぶつけられたり、殴られたり、蹴飛ばされたりしました。私がしゃべるとみんな耳をふさぎ、私が歩くとみんなよけていきます。下級生さえも、私をばかにします。そうされても私には、にらみ返すくらいのことしかできずに、がまんにがまんを重ねましたが、それでも耐え切れなくなってついには担任の先生に助けを求めました。先生がクラスの子たちに話してくれたおかげで、少しは私の周囲も変わったのですが、それはほんのわずかの期間でもとに戻ってしまいました。結局、先生に頼ってもだめなのかと思い、私はもうどうすることも出来ませんでした。

 

一体、私が何をしたのでしょうか。性格が悪いとかいうのだったら、直す努力をして解決できます。この左手だって、4回も手術して、やっと人並みに動くようになったのです。私は私なりに一生懸命手術に耐え、努力したのです。それでも私の事を嫌うというならもう、その解決方法などないのだろうと、あきらめてしまいました。そのことに関して、考えることさえ嫌になりました。

 

その頃の私は、死ぬことばかり考えていました。生きていても何の楽しみも無く、不幸なことに、大人達の身勝手なところばかりを見てしまい、自分の将来を悲観してしまっていたのです。手首を切ろうとしたことも何度かありましたが、結局死に対する恐怖感に勝てず死ぬことはできませんでした。

 

それから色々と自分なりに考え、もう一度生まれ変わるつもりでやり直す決心をしたのです。

 

中学校に入ると、他の小学校から来て、私のことを知らない人がたくさんいました。チャンスだと思い、私はいろんな人たちに話しかけていきました。以前の私だったら、絶対できなかったことです。けれども、その時は友達を作ることしか頭に無く、懸命でした。

 

そんな努力が実り、友達がたくさんできて毎日が夢のように楽しくなりました。男子からの嫌がらせもありましたが、友達がかばってくれて、嫌がらせの数はだんだんと減っていきました。

 

3年になる頃には、ほとんどの人が私の事を認めてくれ、昔私をいじめた人たちも、みんな謝ってくれて、口では言い表せないほどうれしい思いをしました。もしあの時死んでいたら、絶対に味わうことのできなかった喜びです。生きていて本当に良かったと、心から思いました。

 

この頃、新聞には毎日のように少年少女の自殺の記事が載っていますが、なぜみんな簡単に死を選んでしまうのでしょうか。人気歌手の自殺をきっかけに、後追い自殺をする人さえあります。一人の人間が死を決意するからには、その人にとってどうしようもなく大きな悩みがあったに違いないでしょう。しかし冷静に考えれば、自殺というのは逃げ道でしかないというほかありません。問題は何も解決しないのです。それにもかかわらす自殺する人は、自分だけが、今すく楽になりたいとでも言うのでしょうか。

 

人間死ぬ気で頑張れば、何でもできるはずです。どうしてもう少し生きる努力をしないのでしょうか。自ら死を選ぶ人に対して、私は腹立たしささえ覚えます。

 

今自殺しようとしている人に、あの時の私の気持ちを教えてあげたい。生きていると苦しいことがたくさんあり過ぎて嫌になってしまうけれども、その苦しみ一つ一つを乗り越えて、はじめて自分の考えている幸せに近づけるのではないでしょうか。

 

死にたいを思いつめるほど、どん底に落ちた事のある人の方が、生きているすばらしさを実感できるのではないでしょうか。

 

私はこの体験を通して、そう思いました。

 

死ぬことはいつでもできます。しかし、生きるということは、今しかできないのです。

 

たった一つの大切な命を、一時的な感情で失うことだけは、決してしてはいけないと、心から思います。

 

ご清聴ありがとうございました。